木之下城(木ノ下城) | 織田広近が築いた犬山城の前身のお城




木之下城(木ノ下城) | 織田広近が築いた犬山城の前身のお城

 

 

愛知県犬山市の木之下城(木ノ下城)跡は尾張守護だった斯波氏の家臣・織田広近が築いたお城で、この木之下城を移築して建てられたのが犬山城なんです。つまり木之下城は犬山城の前身のお城という事になりますね。

 

 

 

 

 

歴史

 

築城は室町時代の文明元年(1469)に小口城(大口町)の織田広近が現在の愛宕神社周辺に木之下城を築き初代城主となりました。

 

 

しかし、平城の悲しさ、あまり堅固ではありませんでした。

 

 

そこで後に織田信康(織田信秀の弟、つまり信長の叔父さん)が天文六年(1537)に木之下城を移転する形で現在の犬山城を築き移り住んだので、木之下は廃城になりました。

 

 

 

 

 

感想

 


木之下城跡は犬山城の南側にあった様で、現在は名鉄犬山駅近くの愛宕神社境内に石碑が建っているのみで、お城の遺構らしきものは残っていませんでした。

 

 

この地から犬山城に向かって歩いて行くこともでき、徒歩15分くらいで犬山城に着きますが、お城に近づくにつれ、山の上に登っている感じがします。

 

 

つまりこの高低差によって、犬山城は平山城、木之下城は平城というのも実感できます。

 

 

築城当時は平城でも良かったと思いますが、この地は美濃国(現在の岐阜県)との国境に近いので、防御のための移転だったのではという印象を受けましたね。

 

 

ところで木之下城跡の愛宕神社の敷地内には、どんな日照りのときも、決して枯れる事がなかったと伝わる伝説の井戸、『金明水』が今でも残っています。

 

 

 

 

 


神社の入口にある手水鉢に白厳水と刻まれていますが、白厳とは織田信康の号名です。

 

 

 

 

 


現地の案内看板によると、愛宕神社の本殿がある場所に城の主殿があったそうで、城郭は南側に構えらていたと推測されています。

 

 

・所在地  犬山市犬山字愛宕

 

・立地  平城

 

・築城時期  文明元年(1469)

 

・築城者  織田広近

 

・主な城主  織田氏

 

・現状  愛宕神社

 

地図


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