早尾東城 | 大橋源三右衛門が築き後に橋本大膳が居城したお城
愛知県愛西市(旧立田村)の早尾東城は、大橋源三右衛門が築き後に橋本大膳が居城したお城です。
歴史
早尾東城は16世紀初め頃、大橋源三右衛門によって築城されたお城といわれています。
大永四年(1524)勝幡城主・織田信定(信長のおじいさん)が津島を攻めました。
津島衆は早尾東城に逃げ込み、戦いましたが敗北。お城を明け渡し、和睦しました。
そして時は流れ、本能寺の変後、尾張領主であった織田信雄の家臣・橋本大膳が領主となりました。
この橋本大膳の父は、信長の鉄砲師範(先生)であった橋本一巴です。
大膳が城主時代の早尾東城はの規模は、東西約180m、南北約55mと伝わります。
やがて大膳は一族の拠点近くの矢合城へ移り、早尾東城は廃城となります。
そして文禄元年(1592)その跡地へ常徳寺が建てられ、現在に至っています。
感想
織田信定の時代から始まり、戦国時代を経て江戸時代まで、時代を乗り越えてきた早尾東城。
今では、お城跡を偲ぶ遺構は残っていませんが、常徳寺の駐車場に早尾東城の石碑と看板が建っています。
私の感想ですが、お城の遺構は残っていなくても、こうやって石碑と看板が建っているのは非常に助かります。
なぜかというと、お城巡りは石碑や看板を目指して探していくので、これらが道しるべというか、目的地になるからです。
ところで、【尾張志】によれば、この早尾東城に対して、『早尾西城』というお城があったとのことです。
場所は早尾船原地内にあり、文明年間(1469〜1487)の頃にはお城があったとされ、城主は堀田正綱ともいわれています。
しかし現在では遺構もなく、これ以上の事は分かっていません。
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