三位法印屋敷 | 秀吉の甥で関白になった豊臣秀次の生誕地
愛知県あま市の三位法印屋敷(さんみほういんやしき)は、豊臣秀吉の甥で関白になった豊臣秀次の生誕地といわれている場所です。
歴史
この場所は秀次の父・三次吉房の屋敷跡といわれており、ここで秀次も生まれたとされています。
吉房はもともと『弥助』と呼ばれる百姓でした。
秀吉の姉・『とも』と結婚したことにより、妻の弟・秀吉に仕えまず。その後、秀吉の出世に伴い、吉房も武士として出世を重ねていきました。
そして秀吉に子がなかったということで、長子・秀次が秀吉の養子となり、関白に就任。
吉房も犬山城に十万石で入城、萩原(一宮市)にも居城を構えました。
この時、尾張は秀次の領国でしたが、関白としての仕事があるため、秀次は京にいる事が多くなり、尾張の国政は吉房が行った時期もありました。
しかし秀頼誕生後、秀次は謀反を企てたという罪で切腹。
それに連座する形で、吉房も讃岐に流されてしまいました。
ちなみに吉房は晩年入道して三位法印一路と名乗り、屋敷跡の名称もここから付けられています。
感想
あま市乙之子屋敷にある貴船神社が、かつての屋敷跡と伝わります。
この貴船神社は、天正二十年(1592)秀次が関白に就任した際、に武運長久を祈願するために吉房が社殿を造立した事が始まりといわれています。
秀次は謀反の罪で切腹させられており、いわば罪人。秀次に関わるお城や聚楽第さえも破壊され、その弾圧は徹底的でした。
そんな中、現在にまで残るこの貴船神社は、吉房・秀次親子に関する貴重な史跡のひとつだと思います。
私の感想ですが、戦国武将は同じ人物でも土地によって評価が違うと思いました。
なぜかというと、秀次は愛知県ではあまり有名ではありませんが、滋賀県の近江八幡市では英雄扱いで銅像も建っています。
近江八幡市には彼の居城である、八幡山城(近江八幡城)があり、八幡堀をはじめ城下町整備に尽力した秀次が現在でも顕彰されているからです。
しかしあま市では、ほとんどの人が秀次ゆかりの地という事を知らないので、もう少し顕彰されても良いのかなと思いました。
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