山崎城 | 松平清康の弟で広忠と戦う事になった松平信孝の居城
愛知県安城市の山崎城跡は、松平清康の弟で後に広忠と戦う事になった松平信孝の居城跡です。
歴史
三河を束ねていた兄・清康が天文四年(1535)のに尾張守山城で最後を迎えると、三河は大混乱に陥りました。
清康が亡くなったことを好機と見た桜井松平の当主・松平信定が宗家を差し置いて岡崎城に入ろうとしましたが、松平信孝は筋目を通すため、対抗して松平忠広(徳川家康の父)を助けて、岡崎城へと迎え入れました。
この後、信孝は広忠の後見役として補佐し続けましたが、次第に専横になってしまいます。
そこで忠広の重臣達は、信孝の留守中に三木城(岡崎市)を攻めて領地を没収してしまいます。
怒った信孝は松平氏を離反し、当時敵だった安祥城の織田信秀に通じ、信秀は岡崎の松平氏に備えて山崎城を築かせ、信孝に守らせました。
しかし翌年、信孝は単独で岡崎へと出兵、明大寺において広忠の待ち伏せに遭い討死しました。
その後、安祥城が今川・松平連合軍の手に落ちると、山崎城も落城してしまい、以後、廃城となりました。
感想
現在の山崎町にある神明社とその周辺が山崎城跡との事ですが、神明社裏に、幅13m・深さ4m程の堀が残っています。
そしてよく見ると、現在神明社が建っているのは土塁の上なのです!
さらに東北側には土塁にしては広範囲な盛土の跡がありました。文献によると、ここには隅櫓があり、当時はもっと高かったらしく、岡崎城も遠望できたとか。
現状は、確かに神社なのですが、お城の遺構・雰囲気が凝縮されており、オススメのお城です。
神明社裏に残る堀跡。かなりの大きさに見応えがありますよね。
神明社の本殿が建っている場所は、実は土塁の上なのです。
東北側には隅櫓跡と伝わる高台があります。
関連ページ
- 安城市の詳細不明のお城跡まとめ
- かつての三河国だった愛知県安城市の詳細不明のお城跡をまとめたカテゴリです。
- 織田信長の兄・信広が今川方に捕縛された安城市の安祥城跡
- かつての三河国だった愛知県安城市は、尾張の織田氏と三河の松平氏、そしてそれを支援する駿河の今川氏によって合戦が繰り広げられたお城です。織田信広も捕縛された安祥城合戦や現地レビュー、そして私の感想も書いています。
- 福釜城 | 徳川家康を支えた親盛を祖とする松平氏一族のお城
- かつての三河国だった愛知県安城市の福釜城は、徳川家康を支えた親盛を祖とする福釜松平氏一族のお城です。この記事では福釜松平氏の歴史と福釜城の現地レビュー、そして私の感想を書いてみました。
- 高木城 | 徳川十六神将の一人・高木清秀の屋敷跡
- かつての三河国だった愛知県安城市の高木城は、徳川十六神将の一人・高木清秀の屋敷跡です。この記事では高木城の歴史や現地レビュー、そして私の感想を書いています。
- 保科城 | 甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷
- かつての三河国だった愛知県安城市の保科城は、甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷址です。この記事では保科城の歴史と現地レビューそして私の感想を書いています。
- 安城古城 | 安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡
- かつての三河国だった愛知県安城市の安城古城は、安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡といわれています。この記事では安城古城の歴史や安城古城にゆかりのある武将の紹介をしています。
- 安城市の丈山苑は城跡でした。それが石川丈山屋敷跡です。
- かつての三河国だった愛知県安城市の石川丈山屋敷跡は、城跡といわれています。現在の丈山苑がその場所です。この記事では石川丈山の屋敷跡の現状レビューと感想を書いています。