長田屋敷 | 織田信長の初陣の相手だったと伝わる長田重元の屋敷跡




長田屋敷 | 織田信長の初陣の相手だったと伝わる長田重元の屋敷跡

 

 

かつての三河国だった碧南市の長田屋敷は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた長田重元の屋敷跡です。

 

 

 

 

 

歴史

 

駿河出身で平家の流れをくむ長田平右衛門尉重元が、大浜城跡を改修して羽城主になったと伝わります。

 

 

築城年はよく分かっていませんが、信長公記に織田信長の初陣で、三河の吉良・大浜に出陣したと記載がある事から、この時の相手が羽城主の長田重元ではないかともいわれています。

 

 

だからこの記載が本当だとすると、信長の初陣の年である天文十五年(1546)には、羽城が存在していた事になりますね。

 

 

また重元は天正年間(1573〜93)に羽城の東南の角に宝珠寺を建立しました。これが今日まで存続している宝珠寺です。

 

 

さて、重元の次男・直勝は徳川家康に仕え、天正十二年(1584)年の長久手合戦で、羽柴軍の池田恒興を討ちとっています。

 

 

この直勝は後に永井の姓になり、永井直勝と名乗りますが、生まれたのは重元が住んでいた屋敷ということで、宝珠寺に永井直勝生誕地の石碑が建立されています。

 

 

 

 

 

感想

 

長田屋敷跡は現在の宝珠寺一帯との事。境内には重元の息子・永井直勝生誕地の石碑のほかに、重元・重吉兄弟のお墓があります。

 

 

また羽城の場所については、江戸時代の大浜陣屋(現在の大浜陣屋公園)と同じ場所とする説が濃厚ですが、この地にあったとの説もあります。

 

 

私の感想ですが、お城址の場所はともかく、この地が大浜にとってかなり重要な場所だったのではないかと思います。

 

 

その理由は、長田屋敷から大浜城、羽城、大浜陣屋とされる場所が近く、時代が変わっても有力者の拠点がこの地にあったからです。

 

 

この周辺には湊(港)、つまり貿易港があったともいわれていますし、海運での利益を掌握する拠点として、城や長田氏の屋敷もあったのでは?というのが私の仮説です。

 

 

今では碧南10ヶ寺巡りのひとつとして、宝珠寺も有名になっています。

 

 

所在地 碧南市音羽町1丁目48

 

立地 平城

 

築城時期 ?

 

築城者 ?

 

主な城主 長田氏

 

現状  宝珠寺

 

地図


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