棚尾城 | 建久年間にこの地の地頭だった熊谷若狭守直氏の屋敷跡
かつての三河国だった碧南市の棚尾城は、かつてこの地の地頭だった熊谷若狭守直氏の屋敷跡と伝わる場所です。別名・棚尾古屋敷。
歴史
碧南市史によると建久年間(1190〜98)、熊谷若狭守直氏が地頭として棚尾に住むとの記述があります。
また、明治期に作成された棚尾屯地図には、字上屋敷に若狭守古屋敷の注記があります。
感想
かつての棚尾城跡は、現在の碧南市若宮1丁目の八柱神社周辺との事です。
周辺は宅地開発が進み、屋敷跡の様子は分かりませんが、八柱神社は周囲より高い丘上にありました。
私の感想ですが、棚尾城址の遺構は高低差くらいしか残っていないものの、昔からこの棚尾の地はこの地方にとって重要な場所だったと思います。
その理由は、棚尾城が築かれた建久年間(1190〜98)とは、日本史にとっても大きな転換期でもありますし、その時期にこの地の有力者となった熊谷氏が拠点を築いた事にあります。
建久年間(1190〜98)は、源頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開いたり(建久三年)、後鳥羽天皇が土御門天皇に譲位し院政をしいた(建久九年)時期で、世の治世もまだ固まっておらず、その時の熊谷氏の拠点がこの棚尾城でした。
また熊谷直氏とう人物にちては詳細が分かっていないので、今後の歴史研究の課題でもあると思います。
現在に残る八柱神社(棚尾城)の高低差。ちなみに私の身長は1m50cmです。
室町時代の様な城址というより、土豪の館城みたいなものだったのではないかと思います。
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