西端陣屋 | 天明三年にできた西尾城主・本多氏の分家の陣屋
かつての三河国だった碧南市の西端(にしはた)陣屋は、天明三年(1783)にできた西尾城主・本多氏の分家の陣屋です。
歴史
元和元年(1615)、西尾城主・本多康俊から分家した本多忠相が旗本となり、天明三年(1783)本多忠直の時に陣屋ができました。
愛知県中世城館跡調査報告2西三河地区によると、元治元年(1864)から石高が1万500石になり、大名になりました。
その後、慶応三年(1867)の大政奉還後も本多忠鵬(ただゆき)が西端に居住して藩知事となりましたが、明治四年(1871)に廃藩となりました。
感想
かつて西端陣屋があった場所は、碧南市湖西町1丁目との事ですが、現在は宅地と化しており、残念ながら陣屋の遺構は残っていません。
しかしその北側、札木町2丁目の康順寺に最後の領主・本多忠鵬のお墓が残っていました。
私の感想ですが、江戸時代の陣屋も城郭研究では【城】として研究されているので、この西端陣屋もどんな様子だったのか?というのが気になりますね。
例えば石垣に囲まれた役所みたいなものとか、堀や土塁があったとか、陣屋によってその様子は様々です。
しかし最後は1万石以上の石高になっているので、それ相応の構えだったのではないかと思います。
また西端陣屋の歴史は100年もありませんでしたが、この地域の郷土史において、ここに陣屋が存在したことは確かですね。
康順寺には、二代目藩主で最後の西端陣屋の主・本多忠鵬のお墓があります。
所在地 碧南市湖西町1丁目
立地 平城
築城時期 天明三年(1783)
築城者 本多忠直
主な城主 本田氏
現状 宅地
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