兼松屋敷 | 信長から足半をもらった兼松正吉の屋敷跡




兼松屋敷 | 信長から足半をもらった兼松正吉の屋敷跡

 

 

愛知県一宮市の兼松屋敷は、戦国時代に織田信長に仕えた武将・兼松正吉の屋敷跡です。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

兼松氏は、古くから現在の一宮市島村周辺に勢力を持っていた豪族でした。

 

 

戦国時代の当主・又四郎正吉は、織田信長から足半(あしなか)をもらった有名な人物です。

 

 

本能寺の変後は豊臣秀吉、徳川家康に仕え、子孫は尾張藩士になっています。

 

 

 

 

 

 

兼松,屋敷,信長,足半,正吉,屋敷

 

兼松正吉は天文十一年(1542)生まれ。織田信長に仕え、初陣は桶狭間合戦といわれています。

 

 

それ以来、数多くの合戦に参加し、武功を重ねた武将です。

 

 

有名なエピソードが信長公記に載っている足半(あしなか)のお話。

 

 

天正元年(1573)の朝倉氏との刀根坂(とねざか)合戦。敵を討ち取り信長へ報告した時、裸足のため足は血まみれだった正吉。それを見た信長は、腰にくくりつけていた『足半』を与えました。

 

 

正吉はおおいに喜び、以後刀の鞘に足半をくくり、合戦に臨みました。

 

 

ちなみにこの『足半』、今では中村区の秀吉清正記念館に収蔵してあります。

※足半 半分しかない草鞋の様な履物

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつて兼松屋敷があった場所には、現在でも正吉の子孫の方が住んでいました。

 

 

立派な門構えで、屋敷の中には一宮市指定文化財のクロガネモチの大木がありました。現在、昔の屋敷の遺構は残っていませんが、代々伝わる古井戸がありました。

 

 

また尾張藩士となった子孫が住んでいた屋敷の門が、東山動物園に移築されています。

 

 

 

 

 

 


樹齢三百年以上といわれる『クロガネモチ』の木。

 

 

遠くからも一際目立つこの大木は、屋敷のシンボル的存在です。

 

 

 

 

 

 


兼松家に代々伝わる古井戸。

 

 

いつの頃からあるのか分からない古い井戸らしく、もしかしたら正吉もこの井戸で咽を潤したのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

兼松,屋敷,信長,足半,正吉,屋敷

 


名古屋市の東山動植物園には、旧兼松家武家屋敷門があります。

 

 

兼松正吉の子孫は尾張藩士となりましたが、その屋敷が現在の名古屋市東区2丁目にありました。

 

 

屋敷の門を東山動物園に移築して一般公開しています。

 

 

>>東山動植物園のアクセスはこちら

 

 

所在地  一宮市島村

 

立地  平城

 

築城時期  ?

 

築城者  兼松氏

 

主な城主  兼松又四郎正吉

 

現状  民家


関連ページ

一宮市の詳細不明のお城まとめ
愛知県一宮市の詳細不明のお城をまとめた記事です。
光明寺城 | 神戸伯耆守が築城し山田半兵衛が居城したお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の光明寺城は、神戸伯耆守が築城し山田半兵衛が居城したお城といわれています。
大野城 | 大坂の陣で活躍した大野修理亮治長ゆかりのお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の大野城は、大野修理亮治長の祖父・治定が築城したとされ、大坂城の重臣である大野治長ゆかりの城として知られています。
河田城 | 小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の河田城は、小牧長久手合戦で使用された羽柴方のお城として伝わります。城主は稲葉氏で、合戦後もしばらく残されていたそうです。
奥城 | 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の奥城は、織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城と伝わります。またこの近くに前田慶次の親友として作品に描かれた奥村助右衛門の生誕地である貴船神社も残っています。
馬寄城 | 織田信長に仕えた武藤弥平兵衛の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の馬寄城に関する記事です。城主は 織田信長に仕えた武藤弥平兵衛という武将でした。
宮後城 | 野府城の坪内一族のお城という説があるお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の宮後城は、野府城の坪内一族のお城という説があるお城です。その現状と歴史を説明した記事です。
一宮城 | 真清田神社の神官だった関一族の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の一宮城は、真清田神社の神官だった関一族の居城です その歴史と現状をレビューした記事です。
毛受城 | 苅安賀城の浅井一族の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の毛受城は、苅安賀城の浅井一族の居城として伝わります。城主の名前は浅井玄蕃という人で、浅井新八郎の家老もしくは弟とも。そんな毛受城跡の現地の様子と感想も書いてみました。
苅安賀城 | 織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の苅安賀城は織田信雄の家老だった浅井田宮丸長時の居城といわれています。現在は苅安賀自動車学校になっていますが、そんな苅安賀城の現状と感想を書いてみました。
萩原城 | 豊臣秀次の父・三好吉房の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の萩原城は、関白豊臣秀次の父・三好吉房の居城と伝わります。現在では住宅地になっており、現状をレポした記事です。
鵜飼民部屋敷 | 織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市の鵜飼民部屋敷は、かつて織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡といわれます。また高木城と同一という指摘もあるお城です。
東宮重城 | 織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の東宮重城は織田信雄の家臣・酒井新左衛門が築城したお城といわれています。この記事ではそんな東宮重城の歴史と現在の状況をレポしてみました。
中島城 | 戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市の中島城は、戦国時代以前に中島郡を支配した中島氏の居城跡と伝わります。この記事ではそんな中島城の歴史と現在の城跡の様子を私の感想と共にレポしてみました。
時之島城 | 城主は日根野頭形兜を考案した日根野弘就
かつての尾張国だった愛知県一宮市の時之島城の城主は、日根野頭形兜を考案した日根野弘就という武将です。斎藤氏、織田氏、豊臣氏に仕え各地を転戦しました。
下奈良城 | 小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつ
かつての尾張国だった愛知県一宮市の下奈良城は、小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつです。
大赤見城 | 城主は戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子
かつての尾張国だった愛知県一宮市の大赤見城は、戦国時代以前の織田弾正左衛門勝久、久長親子の居城と伝わります。
浅野城 | 豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所
かつての尾張国だった愛知県一宮市の浅野城は、豊臣家五奉行筆頭の浅野長政の屋敷があった場所です。
小山城 | 小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦
かつての尾張国だった愛知県一宮市の小山城は、小牧長久手合戦時の織田・徳川連合軍の砦と伝わります。その後、平岩親吉が居城したとも、平岩太左衛門が居城したという説もあります。
三ツ井重吉城 | 三井高久、尾藤源内重吉の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市の三ツ井重吉城は、室町時代の尾張守護である斯波氏の家臣・三井高久の居城であり、後に岩倉城主・織田信安に仕えた尾藤源内重吉の居城ともいわれています。
長谷川屋敷 | 信長と秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地
かつての尾張国だった愛知県一宮市の長谷川屋敷 に関する記事です。この地は織田信長と豊臣秀吉に仕えた長谷川秀一の生誕地といわれています。
野府城 | 織田信秀の五男で信長の弟・織田九朗信治の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の野府城は、織田信秀の五男で信長の弟・織田九朗信治の居城といわれているお城です。この記事では、そんな野府城の現状をレポしてみたいと思います。
吉藤城 | 織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の吉藤城は、織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城といわれるお城です。そんな吉藤城に行ってみた時のレビュー記事です。
坪内城 | 勧進帳で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫氏の居城跡
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧尾西市)の坪内城は、勧進帳で有名な富樫左衛門尉の子孫・富樫氏の居城です。そんな坪内城の歴史と行ってみた感想をまとめてみました。
黒田城 | 山内一豊の生誕地といわれるお城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧木曽川町)の黒田城は山内一豊の生誕地といわれるお城です。そんな黒田城の現状を現地をレポしてみた感想を書いています。
割田城 | 清和源氏の血を引く一族・開田氏の居城
かつての尾張国だった愛知県一宮市(旧木曽川町)の割田城に関する記事です。城主は清和源氏の血を引く一族・開田氏といわれており、現在は公園になっています。その城跡のレビュー記事です。

ホーム RSS購読 サイトマップ