奥城 | 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城




奥城 | 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城

 

 

愛知県一宮市にある奥城跡は、 織田信長、信雄、秀信に仕えた梶川高盛の居城です。別名・江並城。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

奥城の築城年代については不明ですが、一説によると楽田城主だった梶川高秀が織田信秀に仕え、奥村に移って奥城を築いたといわれます。

 

 

信長公記によると、梶川高秀は永禄十一年(1568)十月、摂津池田城攻めの先陣を山田半兵衛、魚住隼人らと共に争いましたが、腰骨を突かれて後退し討死しました。

 

 

その後、奥城は息子の高盛が城主となりました。

 

 

高盛の主な働きは元亀四年(1573)、信長に対し挙兵した足利義昭の籠る牧島城(填島城)攻撃の時に、宇治川の先陣での手柄でした。

 

 

そして奥城は天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦では、織田・徳川連合軍の拠点のひとつになっています。

 

 

この時、城主である梶川高盛は織田信長の弟で中根南城の・織田信照を迎えて籠城しましたが、合戦の後半、秀吉自ら西尾張の攻略に取り掛かり、奥城も落城し、開城されています。

 

 

そして奥城はいつの間にか廃城となったみたいです。

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつての奥城跡は、一宮市奥町西保育園あたりといわれており、保育園の片隅にお城跡を示す石碑がありました。

 

 

周辺は宅地化されてお城時代の遺構は全く残っていませんでした。

 

 

私の感想ですが、奥城は一宮市の城址でも特にオススメの城址だと思いました。

 

 

なぜかというと、梶川高盛ゆかりの地ですし、すぐ近くには奥村助右衛門の生誕地の石碑もあるからです。つまり短時間で2度オイシイという事ですね!

 

 

お城巡りや史跡巡りは、労力に見合った収穫、つまり史跡や遺構を確認することが醍醐味ですが、この奥城は1度で2つの史跡をチェックできるので、訪問する甲斐もあると思います。

 

 

 

 

 

 


保育園の片隅にある石碑。

 

 

保育園の方に声をかけてようやく撮影できました。

 

 

 

 

 

 

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奥村助右衛門生誕地 | 貴船神社


奥城のすぐ近くに貴船神社がありますが、ココは奥城の城域で、梶川高盛の生誕地といわれています。

 

 

また花の慶次で、前田慶次の親友として描かれている奥村助右衛門もここで生まれたといわれています。

 

 

 

 

 

 


梶川高盛宅跡を示す石碑。

 

 

この周辺まで城域だったのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 


奥村助右衛門永福も奥町出身と伝わります。

 

 

貴船神社の住所

一宮市奥町貴船8

 

 

貴船神社の地図

 

 

所在地 一宮市奥町下口西

 

立地  平城

 

築城時期  ?

 

築城者  ?

 

主な城主 梶川高秀、高盛

 

現状  奥町西保育園

 

地図


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