時之島城 | 城主は日根野頭形兜を考案した日根野弘就




時之島城 | 城主は日根野頭形兜を考案した日根野弘就

 

 

愛知県一宮市の時之島城は、斎藤氏、織田氏、豊臣(羽柴)氏に仕えた日根野弘就(法印)の居城跡です。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

城主の日根野弘就は、もともとは美濃の斎藤氏に仕えた武将でした。

 

 

斎藤氏が滅ぶと、駿河の今川氏、近江の浅井氏、長島一向一揆と反織田勢力として各地を転戦していましたが、後に信長に望まれて織田家の家臣になりました。

 

 

織田家での身分は馬廻(うままわり)衆で、天正三年(1575)の越前一向一揆討伐、天正六年(1578)の有岡城の戦いで活躍しています。

 

 

信長公記によると安土城が完成した天正八年(1580)には、弟・盛就をはじめ、一族の六郎左衛門、半左衛門、勘右衛門、五右衛門らが揃って安土城下に屋敷地を与えられています。

 

 

この事から弘就以外の日根野一族も信長の馬廻衆に取り立てられていたことがわかります。

 

 

本能寺の変後は羽柴秀吉に仕え、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦では二重堀砦を守っています。

 

 

合戦後に居城したのが時之島城でしたが、天正十八年(1590)には、信州諏訪郡で三万八千石の大名になりました。

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつての時之島城があった場所は、民家として開発されましたが、周囲は回りよりも若干高く、本丸跡と伝わる場所には山神様が祀ってありました。

 

 

戦後間もない頃までは、井戸跡も残っていたとは農作業中の地主さんのお話。かつての時之島城が偲ばれます。

 

 

ところで時之島城という地名の由来は朱鷺(とき)の島からきているといわれます。

 

 

今では果てしなく平地に見える時之島地区ですが、実は天正の頃は木曽川八流といわれるくらい多くの川が流れている場所でした。

 

 

川の分流の間にいくつかの島ができ、そのひとつに朱鷺(とき)が群生したので朱鷺の島と呼ばれる様になり、いつごろからか時之島になったそうです。

 

 

 

 

 

 

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時之島城の本丸跡と伝わる場所は、現在、住宅地となっていますが、二ヶ所に山神様があります。

 

 

写真では分かりにくいですが、こちらの山神様の後にあるビニールハウスの中に、かつて井戸跡があったとか。

 

 

所在地  一宮市時之島町字本郷

 

立地  平城

 

築城時期 ?

 

築城者?

 

主な城主  日根野弘就(法印)

 

現状  民家・畑地

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