鵜飼民部屋敷 | 織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡




鵜飼民部屋敷 | 織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡

 

 

愛知県一宮市の鵜飼民部屋敷は、かつて織田信長に仕えた鵜飼民部清重の屋敷跡と伝わります。また高木城と同一の城とも。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

城主の鵜飼民部清重は、織田信長の家臣といわれていますが、記録が少ない人物です。

 

 

唯一の記録が永禄元年(1558)の浮野合戦です。

 

 

浮野合戦は織田信長と岩倉織田氏が浮野(現在の愛知県一宮市千秋町)で戦った戦で、この時、鵜飼清重は敵を13人も倒したといわれています。

 

 

ちなみに現在の一宮市萩原町高木十三塚は、その時討ち取った敵兵を埋葬して供養した事から、その名前が付いたといわれています。

 

 

 

 

 

 

感想

 

鵜飼民部清重の屋敷跡は、現在の萩原中学校の南で専正寺の東にあったと伝わります。

 

 

現在この地には、子孫と伝わる鵜飼氏宅があり、専正寺との間に木々が生い茂り、屋敷跡の雰囲気が残っています。

 

 

屋敷内には、代々伝わる乗馬用の沓脱ぎ石が残されていました。

 

 

この地区は道が細い箇所が多いので、車で訪れる際は注意が必要です。

 

 

 

 

 

 


子孫の屋敷には、今でも城主が乗馬する時に使ったと伝わる『沓脱ぎ石』があります。

 

 

鑑定の結果、京都産の石ではないかとの事です。

 

 

所在地  一宮市萩原町高木

 

立地  平城

 

築城時期 ?

 

築城者  鵜飼民部清重

 

主な城主  鵜飼民部清重

 

現状 民家


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