吉藤城 | 織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城




吉藤城 | 織田信長の家臣・遠藤三郎衛門の居城

 

 

愛知県一宮市(旧尾西市)の吉藤城跡は、織田信長と信雄に仕えた武将・遠藤三郎衛門の居城といわれているお城です。

 

 

 

 

 

 

歴史

 

妙興寺文書によると、嘉吉三年(1443)にこの地で遠藤三郎宗次が開発代官を務めたという記述がある事から、この人が遠藤氏の先祖で、この頃からすでに遠藤氏はこの地に住んでいたと思われます。

 

 

その後、遠藤三郎衛門の居城となりますが、この人が具体的にどんな活躍をしたのかよく分かっていません。

 

 

天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦の際、織田・徳川連合軍の軍事拠点として利用されたみたいです。

 

 

この時に織田長益、滝川雄利、飯田半兵衛が吉藤城に入城しています。

 

 

また廃城時期もよく分かっていませんが、寛文年間(1661〜72)に作られた寛文村々覚書(かんぶん むらむら おぼえがき)という資料があるのですが、それによると野府城跡はすでに畑になっていたとあります。

 

 

 

 

 

 

感想

 

吉藤城周辺は水田と化し、お城時代の遺構は全く残っていませんが、旧尾西市教育委員会が建てた石碑があります。

 

 

私の感想ですが、この地は濃尾平野といって、平地が広がる場所です。

 

 

お城の防御に山城みたいな高低差を用いるのはほぼ不可能なので、広い堀などで防御を固めていたのではないかと思います。

 

 

ところで住所の字が南古城というのも、吉藤城を偲ぶ要素のひとつです。

 

 

また周辺には、東下城金屋敷というお城ゆかりの地名も残っています。

 

 

所在地  一宮市明地字南古城

 

立地  平城

 

築城時期  ?

 

築城者  ?

 

主な城主  遠藤三郎衛門

 

現状  更地

 

地図


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