刈谷市小垣江町に残る3つのお城跡!それが須賀城、新生城、地内城
かつての三河国だった愛知県刈谷市小垣江町には3つのお城跡が残っています。それが須賀城、新生城、地内城です。
この記事ではそれら3つのお城跡の歴史と現地レビュー、そして私の感想を書いてみました。
小垣江須賀城
刈谷市小垣江町須賀に残るお城跡で、城主は神谷与七朗、または神谷与八郎という土豪でした。その他の詳細は不明です。
明治初年まで郷蔵があったと伝わります。小垣江須賀城の場所ですが、現在の法栄寺の南側で、現在では宅地として開発されお城の遺構は残っていませんでした。
小垣江新庄城
刈谷市小垣江町新庄に残るお城跡。
小垣江村国誌によれば、小垣江新庄城は西を猿渡川、北を堀川に囲まれていたそうです。
現在では周辺は田んぼとなり、お城の遺構は残っていませんが、古城という地名が今でも残っています。その他、かつては近くに『的場』・『鉄砲』・『牛狭間』・『松』などの地名も残っていたとの事。
小垣江地内城
刈谷市小垣江町地内にあったお城跡で、長坂伝十郎の居城と伝わります。場所は現在の誓願寺とその周辺です。
現在誓満寺がある場所は、永正年間(1504〜1521)に地元の豪族・長井氏の陣砦があった場所で、戦に敗れた長井氏一族の冥福を祈るためにお堂が建立されました。
それが法栄寺となり、後に誓満寺になりました。その後、戦国時代を経て、江戸時代の享栄二年(1685)、刈谷藩主の稲垣重昭の保護を受けるなどして現在に至っています。
お城としての遺構は何も残っていない小垣江地内城ですが、誓満寺の西にある刈谷自動車学校からの高低差はお城の雰囲気抜群です。誓満寺の西側は、いきなり低くなっており、ほとんど崖状態。
周辺は住宅地として開発されているものの、もし建物が無ければ、かなり周囲を見渡せると思いました。
ちなみに小垣江地内城の規模は東西約145m、南北約164程で、明治初年くらいまでは塚の形をしたものが三か所、堀跡が一カ所あったそうです。
また近くの民家には、関ヶ原合戦の残党の墓と伝わる耳塚もあったとか。
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