重原陣屋 | 明治二年にでき四年に廃藩となった福島藩の陣屋跡
刈谷市の重原陣屋跡は、明治二年にでき四年に廃藩となった福島藩の陣屋跡です。
歴史
江戸時代、この周辺はここは刈谷藩の領地でしたが、寛政二年(1790)に起こった百姓一揆により、刈谷藩は村換えの処分となり、次にこの地に入ったのが福島藩でした。
その後福島藩は戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟に加わり、領地は没収。
しかし明治二年の時、周辺百八十一ヵ村を領地とする『重原藩』が誕生!しましたが、その二年後、明治四年に廃藩となりました。
感想
かつての重原陣屋は刈谷市重原本町1丁目にある淨福寺とその周辺にありました。
今では当時の遺構を偲ぶものも無く、淨福寺の前に建つ石碑と看板のみが昔を語りかけているだけです。
ちなみになぜお城巡りなのに江戸時代の陣屋が出てくるの?と思う方もいると思いますが、城郭研究ではお城として研究されているものの中に江戸時代の陣屋も含まれているからです。
詳しく言うと、弥生時代の環濠集落から戦国時代の城、砦、そして江戸時代の陣屋や砲台、物見台などの海防施設も城郭研究では城として研究されています。
陣屋の中には石が気で守りを固めたものもあり、お城の延長みたいなものもありますが、あくまで戦が無くなった江戸時代の役所なので、戦国時代と性格も違うのですけれど。
あと重原陣屋があった重原という土地ですが、室町時代以前には重原荘という荘園がありましたし、戦国時代には鴫原城(しぎはらじょう:重原城の事)が治めていました。
そして江戸時代には陣屋が置かれるなど、いろんな時代にもこの地を支配した人がいて、それだけ交通の要所でもあり米もたくさん獲れる土地だったのだと思います。
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