小田井城 | 織田敏定が築いた清洲城の支城
愛知県清須市にあった小田井城跡は、織田敏定が築き、後に清洲城の支城になったお城です。
歴史
小田井城は応永年間(1349〜1428)に尾張下四郡の守護代だった織田敏定によって築かれたお城といわれています。
織田敏定は室町幕府の管領・斯波氏の家臣で、後に清洲城に移り、清洲織田氏(織田大和守家)の当主になります。
敏定が清洲城に移った後の小田井城は、敏定の弟・織田常寛が城主となり、小田井城は清洲城の支城という位置付けになりました。
また織田藤左衛門家の居城として子孫の寛故、寛維、寛故(4代)、信張、信直、信氏と続きます。
しかし天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦の後、8代当主・忠辰が羽柴秀吉に小田井城を追われ、それ以後廃城になりました。
感想
かつての小田井城は、現在の清須市西枇杷島町古城1丁目3にある、国道22号の古城交差点付近にあったそうで、交差点の古城という名前も小田井城がもとになっています。
現在では東に400mほどの所にある、古城公園に小田井城の石碑が建っています。
しかしよく見ると、石碑が2つあり、同じお城跡に2つの石碑がある例はあまり見ません。
そして肝心の遺構ですが、公園はもともとお城跡とは別の場所なので遺構は無く、古城交差点付近もお城の遺構みたいなものは残っていません。
私の感想ですが、お城の場所も当時とは違い、遺構も残されていませんが、名前はしっかりと残っている事から、小田井城の事を後世に伝えようと思った人達がいた様に思えました。
お城めぐりをしていると、旧字名がお城ゆかりのものになっている事がよくあります。
交差点の名前もそうですね。
国道22号線を車で走っていて、古城の信号名を見た場合、その場所が清須市なので、清洲城を思い浮かべる人もいるかもしれません。
でもこの場合の古城は、小田井城を示しており、そこから興味がわく人もいると思いました。
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