松葉城 | 萱津合戦のキッカケになったお城
愛知県海部郡大治町の松葉城跡は、織田信長と清洲城の家老・坂井大膳らが戦った萱津合戦のキッカケになったお城です。
歴史
松葉城は織田伊賀守の居城といわれており、築城もこの人だったのでしょう。
戦国時代にはこの周辺に勢力を持っていた、安井氏の居城となり、後に織田一族の所有となりました。
松葉城が歴史的に有名になるのは、織田信長が19歳の時の事。
【信長公記】によれば、信長がまだ那古野城主だった頃で、松葉城は信長の支配下にありましたが、当時の清洲織田氏の家老だった坂井大膳らが松葉城と近くにあった深田城を急襲します。
信長も那古野から出陣し、叔父の織田信光と協力して清洲織田氏を撃破しました。(これが萱津合戦)
この時に松葉城も近くにあった深田城も落城したということです。
感想
信長公記にも記載がある松葉城ですが、現在では住宅地と化しており、お城だった時の遺構などは全く残っていません。
また松葉城の場所は、海部郡大治町の西條城前田辺りに、あったのではないかといわれています。
そして謎がもうひとつあります。
松葉城の近くに深田城というお城があったそうですが、この深田城に関して3つの説があります。
それが以下の説です。
- 松葉城の隣りにあったお城
- 松葉城と同じお城(別名)
- あま市(旧七宝町)の深田城の事
信長公記には、
『松葉城の近く深田という所に織田達順の居城があったのを、これまた押し伏せて、』
『信長は深田・松葉の両城を攻めた』
という記載がある事から、松葉城と深田城は一応、別のお城だった様に思えます。
また天正十二年(1584)年に起こった蟹江合戦では、徳川軍の先方隊がこの周辺の円長寺に本陣を置いています。
この事から、【愛知の城】の著者・山田柾之氏は、天正の頃には存在しなかったのではないかと指摘しています。
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