岡部城 | 室町時代に知多半島を治めていた一色氏の家臣・佐治氏のお城
愛知県知多郡南知多町の岡部城は、室町時代に知多半島を治めていた一色氏の家臣・佐治氏のお城です。
歴史
別名を馬場、内海城ともいう岡部城は、主家・一色氏を強引に追い出し、領地を奪った佐治宗貞が、いとこの佐治為縄を江州から招いて大永年間(1521〜27)に築かれました。
佐治氏は一色氏から独立後、大野城(常滑市)に拠点を移し、水野氏・戸田氏と知多半島の覇権をかけて戦い、世が治まっていくと、織田信雄、池田輝政に仕え、子孫は尾張藩士となりました。
感想
岡部城は内海の海水浴場の裏山にありました。お城跡が特定できず、ウロウロしていると地元の方でしょうか?手書きの看板を発見!岡部城に行く事ができました。
現在は山林・畑地となっている岡部城は、地元では焼き討ち伝説が残っています。
そんな岡部城ですが、緩やかな登りから曲がりくねった急な登りに変わり、しばらく進むと山の尾根にも見える土橋の様なものを発見!!
知多半島は遺構が残っているお城が少ないので、かなり嬉しい発見でした。
そのほか郭の様な削平地があり、頂上には石像が安置されていました。『南知多町町史』によるとこれは『西方広目天像』とのこと。今でもお城を守っている様でした。
岡部城のふもとで見つけた手書きの看板。この看板のおかげで岡部城に辿り着く事ができました。
これが山頂への道。山の尾根みたいな細い場所おmありました。
本丸の西方広目天像は今でも岡部城を守っている様です。
岡部城の東にには岡部城主・佐治備中守為縄の屋敷跡ではないかといわれている場所があります。それが馬場村城屋敷です。
でも江戸時代の【張州雑志】によると、江戸時代にはすでに民家になっていたらしく、四方に土塁の跡があったそうです。
馬場村城屋敷は現在の南知多町内海中前田で、周辺は宅地や空き地になっており、屋敷時代の遺構も残っていません。ココより西川に岡部城が見えます。
愛知県中世城館跡調査報告W 知多地区より
作図者 高田徹 氏
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