千賀屋敷 | 江戸時代に尾張藩の船奉行だった千賀氏の屋敷址




千賀屋敷 | 江戸時代に尾張藩の船奉行だった千賀氏の屋敷址

 

 

愛知県南知多町の千賀屋敷は、佐治氏の家臣で江戸時代に尾張藩の船奉行だった千賀氏の屋敷址です。

 

 

 

 

 

歴史

 

戦国時代に幡豆崎城主だった千賀氏は、もともと伊予(愛媛)の出身で、為重の代に志摩国千賀(三重県鳥羽市)に移ります。

 

 

そして一族は知多の須佐へ移住(豊浜)。そこで大野城(常滑市)を拠点にこの地に勢力を持っていた佐治氏の家臣となりました。

 

 

江戸時代に入ると千賀氏は尾張藩に仕え、船奉行になります。

 

 

船奉行になった千賀氏は、当時すでに廃城となっていた幡豆崎城の古材で屋敷を作ります。これが千賀屋敷で、間口97m、奥行48mの屋敷でした。

 

 

 

 

 

感想

 

千賀屋敷跡は延命寺の南、住宅・商店街の一隅にあり、現在屋敷跡を伝える石碑が建てられています。

 

 

この石碑は直接の子孫ではない地元の方に管理され、かつての千賀氏を慕う気持ちが伝わってきました。

 

 

私の感想ですが、今回紹介した千賀氏は江戸時代の屋敷ということですが、この地は幡豆崎城主時代にも千賀氏の屋敷があったのではないかと思います。

 

 

なぜかというと、当時の城主はお城で日常生活を送っていたのではなく、お城とは別の場所に館を建てて住んでいたからです。

 

 

織田信長の安土城は例外ですが、そう考えると千賀氏の館もお城の近くにあったと思います。

 

 

もしかすると、この地にあった可能性もありますよね。

 

 

所在地  南知多町師崎字的場

 

立地  平城

 

築城時期  慶長七年(1602)

 

築城者  千賀氏

 

主な城主  千賀氏

 

現状  宅地

 

地図


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