長久手城 | 長久手合戦で岩崎城に籠城した加藤景常の居城跡
愛知県長久手市の長久手城は戦国時代にこの地に勢力を持っていた加藤氏の居城跡です。
歴史
長久手城は享禄年間(1429〜1441)に建てられたと伝わる古いお城です。
記録をたどると時代により城主が変わっています。
- 永享年間(1429〜41)頃は左近太郎家次(家忠とも)、左衛門次郎国守が居城
- 享禄年間(1528〜32)は斉藤平左衛門尉・同民部丞らが居城
- 弘治年間(1555〜57)には、瀬戸の馬ヶ城より落ちてきた加藤景常が修築して居城
天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦時、当主の加藤忠景は岩崎城主の丹羽氏を親戚関係であったため、丹羽氏重と共に岩崎城に籠城します。
そして池田恒興ら岡崎城攻撃隊と合戦になり、岩崎城に籠城しましたが落城して亡くなりました。
その後、長久手城もこの戦いで兵火に焼かれ廃城となりました。
感想
かつて長久手城があった場所は周辺は、閑静な住宅地になってます。
住宅地の中にお堂とお地蔵さんが建っている広場があり、この広場が長久手城の跡といわれています。
ちなみに記録に残る規模ですが、【尾張の古城】(笹山忠)によると、東西約52m、南北約43mで、東西に2つの曲輪があったそうです。
そしてお城の周辺には、幅約13mの堀が巡らされていたとあります。
私の感想ですが、これらの記録により、天守を持った城ではなく、堀と土塁で防御力を高めた武将の館である館城みたいなものだったのではと思います。
また現在に残る城屋敷の地名など、遺構は残っていませんが、かつての長久手城を偲ばせるものが残っています。
長久手城址にある観音堂。長久手観音を祀ってあります。
長久手観音は長久手城主・加藤氏の守り観音でしたが、小牧長久手合戦で長久手城が落城する時、奥方が土塁の中に隠したものが、後年掘り起こされました。
現在は婦人病に御利益がある観音様としてこの辺りでは有名だそうです。
長久手城址周辺の様子。かつての戦乱が嘘の様な静かな住宅地になっています。
長久手城近くにあった電柱に貼ってあった住所。城屋敷とは、長久手城が由来となった住所なのでしょう。
お城巡りをしていると、こんな感じでお城由来の地名(字名)を目にすることがよくあります。お城の遺構は残っていなくても、地名が残っている例ですね。
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