大高城 | 桶狭間合戦のキッカケになったお城




大高城 | 桶狭間合戦のキッカケになったお城

 

 

名古屋市緑区の大高城跡は桶狭間合戦のキッカケになったお城で、信長公記によると、この大高城を兵糧攻めから救うために今川義元は尾張に侵攻したみたいです。また本多忠勝の初陣のお城でもあります。

 

 

 

 

 

歴史

 

大高城の築城は永正年間(1504〜1521)に、花井備中守によって築かれたといわれ、天文・弘治年間(1532〜1558)の頃は、知多半島に勢力を持っていた水野氏が今川方として居城していましたが、その後、織田方に転じました。

 

 

永禄二年(1559)の頃、鳴海城の山口左馬介教継が今川方に寝返り、大高城、沓掛城を攻略してしまいます。

 

 

その後、大高城は今川方の武将である鵜殿長助らが入城しましたが、これに対し織田方は、以下の砦をを築き、大高城を鳴海城をはじめとする周辺の今川勢力から遮断してしまいます。

 

  • 鷲津砦
  •  

  • 丸根砦
  •  

  • 丹下砦
  •  

  • 善照寺砦
  •  

  • 中島砦
  •  

  • 正光寺砦
  •  

  • 氷上砦
  •  

  • (一説にはこれらと向山砦)

 

いわゆる兵糧攻めですね。

 

 

 

 

 

そして桶狭間合戦

永禄三年(1560)5月。大高城が兵糧攻めに遭っているのを救援するために今川義元は尾張へ侵出。

 

 

十九歳の若武者・松平元康(後の徳川家康)に大高城に兵糧を運ぶよう指示します。

 

 

元康は鷲津砦丸根砦の目をかすめ、みごと110頭の馬に積んだ兵糧を大高城に運び込む事に成功します。このエピソードが有名な大高城の兵糧入れです。

 

 

その後、元康は鷲津砦丸根砦を攻め落としますが、今川義元が討たれてしまい元康は早々と岡崎城へ引き上げてしまいました。

 

 

桶狭間合戦後の大高城は廃城になったとも、旧城主の水野氏が住んで織田信雄に仕えたとも。

 

 

ハッキリしてくるのが、元和二年(1616)大坂城落城後に尾張藩の家老となった志水甲斐守忠宗が一万石を領してかつての大高城三の丸に屋敷を築いて移住し、以来約260年、志水氏の子孫が居城して明治維新を迎えます。

 

 

そして現在、大高城は城址公園として整備され、昭和十三年に国指定史跡となりました。掘・土塁など、お城の遺構も残っており、お城ファンのみならず、周辺に住む市民の方々の憩いの場になっています。

 

 

 

 

 

 

感想

 

【大高町誌】によると、大高城の規模は東西約106m、南北約32m、四方に二重の堀があったそうです。

 

 

私の感想ですが、大高城は名古屋市内のお城跡の中でもオススメのひとつです。

 

 

その理由ですが、まず入口にど〜んと石碑があり、かつての本丸からは、丸根砦、鷲津砦を見渡すことができます。

 

 

そして城内の一カ所に大きく残る堀と土塁のセットもあって、当時の様子を偲ぶ事ができます。

 

 

桜の名所としても知られ、4月の桜の時期になると、地元の住民をはじめ、多くの来場者があるお城です。

 

 

 

 

 



大高城の入口に大きな石碑がありました。信長公記にも出てくるお城で、桶狭間合戦が語られる時には、必ずと言っていほど大高城の名前は出てきます。それがここなんです。

 

 

 

 

 


本丸跡。

 

 

削平地が続き、一部が少し高くなっています。江戸時代の清水氏の屋敷跡が具体的にその場所にあったのかわかりませんが、この周辺だったのかも。

 

 

 

 

 


そして必見なのがこの堀。大高城の南西にある堀で、入ってみるとこれだけの広さがありました。戦国時代はもっと深かったのでしょうね。

 

 

 

 

 


堀の外にはこの土塁です。堀を掘って余った土を積み上げて土塁を築くのが基本なので、先ほどの堀とこの土塁は1セットなのでしょう。

 

 

 

 

 


城内のいろんな所に高低差があるのがわかります。大高城は標高20mほどのお城ですが、周辺から見ても高台にあるし、城内も曲輪間などで高低差があります。

 

 

・所在地  緑区大高町城山16

 

・立地  平山城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  花井備中守

 

・主な城主  花井備中守、水野忠氏、鵜殿長助、清水甲斐守忠宗

 

・現状  史跡公園

 

地図


関連ページ

名古屋市緑区の詳細不明のお城
名古屋市緑区の詳細不明のお城跡をまとめてみました。
鷲津砦 | 桶狭間合戦時に朝比奈泰能が攻め落とした砦
名古屋市緑区鷲津砦は、桶狭間合戦時に飯尾定宗が守っていましたが、今川方の朝比奈泰能が落とした砦です。この記事では鷲津砦の歴史と作られた経緯、そして現地レビューと私の感想を書いています。
丸根砦 | 桶狭間合戦時に松平元康が攻め落とした砦
名古屋市緑区の丸根砦は、桶狭間合戦時に松平元康(後の徳川家康)が落とした砦です。
鳴海城 | 桶狭間合戦時に今川方の岡部元信が守ったお城
名古屋市緑区の鳴海城跡は、桶狭間合戦時に今川方の岡部元信が守ったお城です。この記事では鳴海城の歴史のほか、現在の様子と私の感想レビューを書いています。
丹下砦 | 鳴海城を包囲した砦のひとつで守将は水野帯刀
名古屋市緑区の丹下砦は桶狭間合戦時に鳴海城を包囲した砦のひとつで守将は水野帯刀、山口海老之丞、柘植玄蕃允らと伝わります。
善照寺砦 | 鳴海城を包囲していた砦のひとつ守将は佐久間左京亮
名古屋市緑区の善照寺砦は桶狭間合戦時に鳴海城を包囲していた砦のひとつで、守将は佐久間左京亮といわれています。
中島砦 | 鳴海城を包囲した砦のひとつで守将は梶川高秀
名古屋市緑区の中島砦は、桶狭間合戦時に鳴海城を包囲した砦のひとつで守将は梶川一秀と伝わります。
氷上砦 | 桶狭間合戦時に大高城を包囲していた砦のひとつ
名古屋市緑区氷上砦は、桶狭間合戦時に大高城を包囲していた織田方の砦のひとつです。
正光寺砦 | 謎に包まれた大高城包囲の砦のひとつ
名古屋市緑区の正光寺砦は、桶狭間合戦時に大高城を包囲していた砦のひとつといわれています。

ホーム RSS購読 サイトマップ