鷲津砦 | 桶狭間合戦時に朝比奈泰能が攻め落とした砦




鷲津砦 | 桶狭間合戦時に朝比奈泰能が攻め落とした砦

 

 

名古屋市緑区の鷲津(わしづ)砦跡は、桶狭間合戦時に大高城を包囲していた織田方の砦のひとつ。守将は奥田城主・飯尾定宗、そして息子である北方城主・飯尾尚清(信宗とも)、一族の織田玄蕃允。

 

 

 

 

 

歴史

 

永禄三年(1560)5月18日、織田方から兵糧攻めに遭っていた大高城に兵糧を補給した松平元康(後の徳川家康)と、朝比奈泰能(やすよし)は、翌日、大高城を包囲していた丸根砦と鷲津砦を攻めます。

 

 

この時、鷲津砦攻めは朝比奈泰能が担当。(注1)

 

 

19日明け方から始まった鷲津攻めは、数時間で終わり、鷲津砦は陥落。

 

 

鷲津砦が丸根砦と共に陥落し煙が上がっているのを織田信長は桶狭間に向かう途中の上知我麻神社(かみちかまじんじゃ:熱田神宮)で、確認したそうです。(信長公記)

 

 

この時、鷲津砦の守将と城兵は、ことごとく討死したのですが、飯尾尚清(信宗)は逃げ延び、信長の母衣衆となって、後年は秀吉に仕えました。

 

 

鷲津砦は、桶狭間合戦後は使われなくなり廃城になりました。

 

 

 

 

 

感想

 

鷲津砦は大高城の東北約700mの山にありました。現在では名古屋市緑区にある知多四国八十八ヶ所御朱印場のひとつ・長寿寺の裏山一帯になっています。

 

 

ちなみに国指定史跡で、規模は東西約40m、南北約70mほど。

 

 

私の感想ですが、この鷲津砦は大高城丸根砦と共に巡ってみるのをオススメします。

 

 

その理由は、山中に堀、土塁などの遺構も色濃く残っているからです。

 

 

山中は舗装整備されておらず、普通に山の中といった印象でしたが、必要以上に草木も生い茂っておらず、比較的楽に散策することができました。

 

 

石碑もありますよ♪

 

 

あと、私が数回巡ってみた体験からの所要時間は約20分ほどでした。

 

 

 

 

 

 

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(注1について)多くの資料に鷲津砦を攻めたのは、朝比奈泰能という記録がありますが、実は泰能は弘治三年(1557)に亡くなっているんです。

 

 

そのことから、鷲津砦を攻めたのは、泰能の息子・泰朝(掛川城を現在の場所に移した人)のことで、親子を誤って記載されたと思われます。

 

 

しかし別の説もあるんです。

 

 

当時、今川家では太原雪斎が亡くなり、さらに重臣である朝比奈泰能が亡くなったとすれば、士気にも影響すると思われ、泰能の死を隠していたのではないかといわれています。

 

 

 

 

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まずは入口。かつての鷲津砦は公園として入口は整備されており、石碑が建っています。でもこれは公園の石碑です。

 

 

 

 

 


入口から入って行くと山の中へ!山中は草木が生い茂っておらず、歩きやすかったのですが、斜面などは滑りやすくなっていますので、山城と同じ様に足元はシッカリと固めてから行った方が良いと思いました。

 

 

 

 

 


鷲津砦の堀(とおもわれる)の遺構。入口から少し進んだところにあり、そのまま山の斜面を滑り落ちていく様になっています。

 

 

 

 

 


鷲津砦の土塁(とおもわれる)の遺構。これが分かりにくい場所にあって、数回目で発見できました。

 

 

 

 

 


そして鷲津砦の石碑。ちなみに鷲津砦の場所には異説があり、現在の鷲津砦とされている場所よりも北側の住宅地に砦があったのではないかともいわれています。

 

 

・所在地  緑区大高町鷲津山8

 

・立地  平山城

 

・築城時期  永禄二年(1559)

 

・築城者 織田信長

 

・主な城主 飯尾定宗、飯尾信宗、織田玄蕃允

 

・現状  史跡公園

 

地図

 


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