名東区のお城記事まとめ
一色城 | 柴田勝家の祖父・勝重が今川氏へ備えて築いたお城
名古屋市名東区の一色城は柴田勝家の祖父(もしくは曾祖父)である柴田勝重が、尾張守護・斯波氏の命により築いたお城。今川氏をはじめとする西方勢力への備えでした。歴史柴田氏は、本来、足利将軍家の有力大名である一色氏の家臣といわれており、領国の越後新発田から尾張へやってきて、元一族であった尾張の斯波武衛家を...
猪子石城 | この地に勢力を持っていた横地秀次の居城
名古屋市名東区の猪子石(いのこし)城は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた横地氏の居城のひとつで、城主は植田城(天白区)を築いた横地秀綱の子孫・横地秀次という人物です。歴史植田城が横地氏の本家で、猪子石城は分家のお城です。遠江小笠原郡横地村からこの地にやって来たといわれる横地氏は、織田家に仕え、姉川...
上社城 | 謎が多い戦国武将・加藤勘三郎の居城
名古屋市名東区の上社(かみやしろ)城は、この地に勢力を持っていた加藤(賀藤)勘三郎の居城といわれています。その他歴史は不明。歴史この加藤【勘三郎】は、ひとりの人物を指すのではなく、代々城主の世襲名だった様で、幅広い年代にかけて名前が出てきます。古い記録ですと、文明六年(1474)にこの近くにあった観...
下社城 | 織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地
名古屋市名東区の下社(しもやしろ)城は、織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地でもある柴田氏の居城です。歴史築城は勝家の父といわれる柴田勝直(伊賀守)によるもので、築城時期は文明年間〜永正年間(1460年〜1500年頃)といわれています。柴田氏は織田大和守家に仕え、織田信秀亡き後、勝家は当初、信長ではなく...
高針城 | この地の豪族・加藤勘三郎信祥の居城
名古屋市名東区の高針城は、この地に勢力を持っていた土豪・加藤勘三郎信祥(のぶよし:のぶあき)の築城といわれるお城です。歴史この地の加藤氏は、代々、『勘三郎』を襲名していた様で、高針城周辺のお城の城主も『加藤勘三郎』がいたりして、やや混乱します。さて、高針城の規模ですが、大正十二年(1923)創刊の【...
藤森城 | 小牧長久手合戦の落武者・小関三五郎が築いたお城
名古屋市名東区の藤森城は、天正十二年(1584)に起こった小牧・長久手合戦の落武者・小関三五郎が土着し、築いたお城と伝わります。歴史小関三五郎は、池田恒興軍に属し長久手で敗退、数名の家臣と、この地に逃れました。三五郎は部下の死を弔い、この地で再起を図っていましたが、戦傷の身でその見込みもなく、残った...