大森城 | 新居城の水野氏と対峙した尾関勘八朗の居城
名古屋市守山区の大森城の城主は尾関勘八朗と伝わります。お城の規模は、東西約70m、南北約76m、天神川から引いた水で一重の堀を巡らせていたそうです。
歴史
応仁の乱の頃、尾関勘八朗は、矢田川水系の水利を巡って、一族を率いて東にある水野氏の新居城(尾張旭市)を攻めました。
しかし、新居城を落す事ができず、大森城へ退却。
すると翌日、今度は水野氏が大森城へ攻めてきました。城はたちまちのうちに焼き払われ、尾関勘八朗は行方不明。それ以降、大森は水野氏の支配化となりました。
一説によると尾関一族は、同族である小関源五左衛門の小関城(名古屋市千種区)を頼って落ち延びたともいわれています。
歴史
戦国の逆討劇!があった大森城ですが、お城の規模は、現在の大森中央公園から大森中学校までという説もあります。
このあたりは、急速な開発が進み、お城の遺構は残っていませんが、大森中央公園は八剣神社の旧地で、公園内に石碑がありました。
お城跡って、よく神社とかお寺になったりしますよね。ここに八剣社があったということは、ひよっとしたら、お城跡の一部だったのかもしれませんね。
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