志段見城 | 南北朝時代の水野良春の居城
名古屋市守山区の志段見城は、戦国時代以前の南北朝時代の康安元年(1361)頃、水野良春の築城と伝わるお城です。
歴史
【尾陽雑記】によると、二つの郭(曲輪)と掘があったと伝わります。
良春は南朝方として戦っていましたが、一族を多くが戦で亡くなってしまい、先祖の地である尾張へ帰ってきました。
それから良春はこの地の開発に尽力し、後に新居城(尾張旭市)を築いて移り、志段味には一族を残して城主としました。
志段味最後の城主は水野作右衛門という人で、福島正則に仕えていましたが、正則が安芸国広島に移る際、連れていってもらえなかったのでしょうか?浪人になり、志段味城は廃城になりました。
その後、子孫はそのまま志段味に住み、農民になったと伝わります。
ちなみに今でも現地周辺には、『水野』姓を名乗る人が多いです。
感想
『水野一族の石塔群』という看板が残っていたので、期待していってみると…なんと道路・畑地として開発されているではありませんか!
がっかりしていたら近くに志段味城主・水野氏の子孫と伝わる水野さんが住んでいるとの事だったので訪れてみると、快く話を聞かせてくれました。
それによると数年前まで、看板にあるように石塔群が残っていたとのことですが、住宅地開発に伴い、石塔だけを移動。
いずれ上志段見に『歴史の里』(仮称)なるものができ、そこに石塔は展示されるとか。それまでどこかに保管してあるそうです。
石塔があった近くが志段味城との事ですが、その石塔があった場所は現在道路。
遺構を偲ぶ事はできませんが、近くに綺麗な清水が沸いている池を発見!
水野さんによると、その場所は昔から水が湧いており、井戸・もしくは堀跡かもしれないとの事でした。
道路の部分に石塔群があったとか。と言う事は、お城は今の畑地?
これが近くの清水。透きとおった水で、今も湧いているとか。
もしかすると当時からの水脈もかもということで、ココに井戸、もしくは堀みたいなものがあったのかもしれませんね。
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