南区




南区のお城記事まとめ

名古屋市南区の詳細不明のお城

名古屋市南区の詳細不明のお城 名古屋市南区の詳細不明のお城跡をまとめてみました。大地掛城城主、詳細不明のお城。旧桜村字東郷梅にあったので、地元のひとから『ゴウメの城』と呼ばれていたそうです。現在の市立桜小学校の東側にお城があったとのことで、この場所は鯛取通の北側。丸根城との距離は約300m程で、しかもこのお城跡から北へ300m程...

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市場城 | 桶狭間合戦の時丹下砦を守った山口安盛の居城

市場城,桶狭間合戦,丹下砦,守将,山口安盛,居城 名古屋市南区の市場城は、戦国時代この周辺に勢力を持っていた山口左近太夫安盛の居城です。歴史山口氏といえば桶狭間の合戦時、今川氏に寝返った鳴海城の山口義継を思い出しますが、市場城の山口安盛は織田方で、丹下砦(名古屋市・緑区)を守っていました。※資料には山口海老之丞という名前後に美濃国の堂洞合戦で討ち死...

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桜中村城 | 山口教継の父・山口教房の居城

名古屋市南区の桜中村城は、織田信秀亡き後、今川氏に寝返った山口氏の本城にあたるお城です。歴史城主は赤塚合戦で信長と戦った山口左馬之助教継の父・山口太郎左衛門尉教房。織田信秀亡き後、織田家を継ぐ信長に愛想を突かした山口親子は、織田氏から離れ、大高城、沓掛城、鳴海城を勢力圏に収め今川氏に寝返ります。これ...

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寺部城 | この地に勢力を持っていた山口氏の居城

寺部城,山口安盛,七所神社, 名古屋市南区の寺部城は、この地に勢力を持っていた山口氏の居城のひとつです。歴史築城は室町時代末期の大永〜享禄の頃(1521〜32)。市場城主・山口安盛の弟である山口将監盛重が築いたと伝わります。お城の規模は東西約40m、南北105mほどの規模だったそうです。山口氏は現在の名古屋市南区周辺に勢力を持ち...

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戸部一色城 | 尾張国の郡司・愛智氏の居城

名古屋市南区の戸部一色(とべいっしき)城は、戦国時代以前の尾張国郡司・愛智氏の居城と伝わります。歴史記録に残る城主は愛智助右衛門吉清という人で、彼は一色入道とも称したので、この周辺が戸部一色城と呼ばれる様になったそうです。あと吉清は長禄三年(1459)に亡くなったという記録がありますが、その後愛智氏...

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鳥栖城 | 山口氏の重臣・成田氏の居城

名古屋市南区の鳥栖(とりす)城は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた寺部城の山口氏の重臣・成田氏の居城です。歴史築城は応仁の乱(1467)の頃といわれ、成田縫之助時重によるもので、築城当時は、取隅城(とりすみじょう)という名前だったそうです。ちなみに規模は東西約165m、南北約110m。成田氏は現在...

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戸部城 | 今川義元の妹婿である戸部新左衛門政直の居城

名古屋市南区にある戸部城は、今川義元の妹婿である戸部新左衛門政直の居城と伝わります。歴史築城年代は不明ですが規模は東西約30m、南北約180mで、当時は三方を海に囲まれた半島状の要害の地だったともいい、また別の説では四方を崖に囲まれて東側に池があったとも伝わります。戸部氏はもともと織田氏に従っていま...

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新屋敷西城 | 姉川合戦に出陣したかもしれない山口明長の居城

新屋敷西城,姉川合戦,山口明長 名古屋市南区の新屋敷西城は、戦国時代にこの地に勢力を持っていた山口一族の居城と伝わります。歴史新屋敷西城の別名は【鳥栖西城】、または【新屋敷】。お城について詳しい事は分かっておらず、城主は山口新太郎という人物のほか、元亀元年(1570)信長に従って姉川合戦に出陣した山口左馬允明長という説もあります。...

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星崎城 | 小豆坂七本槍のひとり岡田直教の居城

名古屋市南区の星崎城は小豆坂七本槍のひとり岡田直教の居城といわれ、隕石伝説が残る地にあるお城です。歴史築城は一般的に治承年間(1177〜1181)に山田重忠が築城したと記録にありますが、この他にも小幡城の岡田重篤の築城とも伝わります。戦国時代に入ると、初代城主は岡田直教という槍の名手で、上野城(千種...

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山崎城 | 織田家重臣・佐久間信盛の居城

名古屋市南区の山崎城は、記録に残るだけでも城主が3人いたお城です。またここも謎の多い城です。歴史まず築城について。蔵人浄盤という人が築城したお城とのことですが、築城年は不明。また蔵人浄盤についても詳細が分かりません。次の城主が信長の小姓であった加藤弥三郎という人物です。この人は、熱田羽城の加藤順盛の...

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山崎砦 | 佐久間信盛が築いた桜中村城の抑えの砦

名古屋市南区の山崎砦は、織田信長の家臣・佐久間信盛が築いた砦跡です。歴史一説によると場所的に桜中村城の山口氏に対抗するために築かれた砦といわれています。また砦跡に建つ白毫寺(びゃくごうじ)の創建は、元亀二年(1571)ということなので、桶狭間合戦後、山口氏の勢力が衰えた事から、山崎砦の役目も終わり、...

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帯刀屋敷 | 桶狭間合戦で丹下砦を守った水野帯刀の屋敷跡

名古屋市南区の帯刀(たてわき)屋敷は、桶狭間の戦いで織田方として丹下砦を守った水野帯刀忠光の屋敷と伝わります。歴史【尾張志】によると、水野帯刀忠光は、清和源氏の血をひく者とされ、水野監物(けんもつ)忠綱の次男とのこと。忠光の水野氏は、その後数代にわたりこの地に住み、江戸時代には尾張徳川家に仕えました...

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