下之一色城 | 蟹江合戦で有名な前田種利の居城




下之一色城 | 蟹江合戦で有名な前田種利の居城

 

 

下之一色(しもの いっしき)城は、この地の土豪・前田与十郎種利の居城。その子・長種・定利とともに居城し、蟹江城主・佐久間正勝に属していました。

 

 

 

 

 

歴史

 

天正十二年(1584)小牧・長久手の合戦時、下之一色城は、織田信雄に味方していましたが、やがて羽柴秀吉に降った滝川一益の勧めで秀吉方に付きました。

 

 

その後、合戦が済むと下之一色城は、徳川家康によって蟹江城とともに徹底的に破壊されたそうです。

 

 

 

 

 

感想

 

石碑がな〜い!! 資料で調べた場所に行ってみると、手書きの石碑引越しの看板が!!

 

 

お城の石碑は、近くの正色小学校の南側へ、一緒にあった青峰堂は、共愛の里という福祉施設へ移動していました。

 

 

あと私の仮説ですが、この地は現代の新川、庄内川に挟まれた場所で平地なので、江戸時代を含め河川の氾濫などで川筋も変わっているのかなと思いました。

 

 

また城主の前田与十郎種利について。

 

 

【信長公記】に『村木砦の戦い』という合戦の記載があるんですが、これは桶狭間の戦いの前の天文二十三年(1554)に起こった織田と今川氏の戦いで、現在の東浦町に今川方が砦を築いて信長が攻めたんです。

 

 

その信長が出陣する時、家老の林秀貞と弟の林美作守が不服を申し立てて、林の与力である荒子の前田与十郎の城へ退去してしまったという記述があります。

 

 

荒子と記載があるので荒子城の事かな〜と思ってましたが、与十郎の城というので、下之一色城の事なのでしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 


下之一色城の石碑は正色小学校の校庭の南側にありました。なぜここにあるのかは不明。

 

 

石碑の地図

 

 

 

 

 


その昔、この地元の漁師が沖で大嵐に遭い、観音様のご加護で助けられたとか。

 

 

そのお礼に、観音様を祭り、そのお堂は青峯堂と名付けられて広く信仰を集めました。

 

 

今では、共愛の里という福祉施設へ移動しています。

 

 

青峯堂の地図

 

 

・所在地  中川区下之一色城

 

・立地  平城

 

・築城時期  天正年間(1573〜92)

 

・築城者  前田与十郎利種

 

・主な城主  前田利種、種定

 

・現状  庄内川

 

地図


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