昭和区




昭和区のお城記事まとめ

伊勝城 | 佐久間玄蕃盛政の居城

伊勝城は柴田勝家の甥・佐久間玄蕃盛政が築いて居城したお城です。歴史盛政は伊勝城を築いた後、御器所西城を築いて移ったので、伊勝城は廃城となりました。その後、盛政は柴田勝家の与力となって、勝家と共に北陸地方に赴いています。感想かつての伊勝城は現在の宝珠院というお寺の南側あたりにあったそうです。この宝珠院...

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川名北城 | 川名村にあったといわれるお城

川名北城は詳細不明のお城ですが、【尾張志】によると佐久間彦五郎と佐久間半左衛門が、城主として名前を残しています。歴史現在の名古屋市昭和区川名町あたりは、戦国時代に川名村といい、川名村には2つのお城があったそうです。そのひとつが川名北城。このふたつのお城に関しては詳細が分かっておらず、【尾張志】による...

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川名南城 | 川名村にあった佐久間氏のお城

川名南城は昭和区にあったといわれる城跡のひとつです。歴史現在の名古屋市昭和区川名町あたりは、戦国時代に川名村といい、川名村には2つのお城があったそうです。そのひとつが川名南城。このふたつのお城に関しては、現在でも詳細が分かっておらず、【尾張志】によれば、城主は佐久間彦五郎と佐久間半左衛門という名前が...

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御器所西城 | この地に勢力を持っていた佐久間氏の本城

御器所西城(ごきそ にしじょう)は、この地に勢力を持っていた佐久間氏の本城と伝わるお城です。歴史御器所西城は佐久間美作守家勝が嘉吉年間(1441〜1444)に築いたといわれるので、戦国時代以前のお城ということになります。それくらいの時代なら、単なる屋敷跡では?という疑問の声が聞こえてきそうですが、御...

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御器所東城 | 佐久間氏を援けた服部氏の居城

御器所東城(ごきそ ひがしじょう)は、南北朝時代に佐久間氏を頼ってこの地にやってきた服部氏が住んだといわれるお城です。歴史佐久間氏が川名の地に住み付いたのは、承久の乱(1221)の頃といわれ、その後、佐久間氏は御器所に移り住んだそうです。そして南朝に仕えていた服部氏が佐久間氏を頼ってこの地にやってき...

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御所屋敷 | 秀吉の生母・大政所が住んでいたといわれる屋敷

豊臣秀吉の母親(後の大政所)が住んでいた屋敷があったと伝わる場所です。歴史秀吉の母は、尾張中村(現在の名古屋市中村区の中村公園)の足軽・弥右衛門と結婚し、秀吉を含む数人の子供を生みましたが、弥右衛門がいくさ傷がもとで亡くなった後は、再婚しそのまま中村で暮らしました。ところで秀吉の関白就任後、朝廷から...

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吉野城 | 城主の妻は熱田誓願寺の開祖・日秀妙光尼上人

吉野城は豊臣秀吉の生母である大政所の在所だった御所屋敷の近くにあったお城です。歴史【尾張志】によると、御器所村の地蔵堂というところに吉野城というお城があったそうで、城主は吉野右馬允(よしの うまのじょう)という人。この人は、前津小林城(名古屋市中区)の家臣・山田藤蔵盛重の娘を妻にします。しかし右馬允...

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服部屋敷 | この地に勢力を持っていた服部氏の屋敷跡

服部屋敷は、この地に勢力を持っていた服部氏の屋敷跡。もしくはお城かも。歴史『尾張志』によると、服部氏は伊賀国(現・三重県北部)の服部郷から尾張へやって来て、佐久間氏の仕えた後、福島正則に仕えて馬廻り役を務め、この地に移住したそうです。しかし現在の昭和区には、戦国時代から服部氏が勢力を持っており、枝分...

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南分城 | 長久手合戦の時に落城した佐久間彦五郎の居城

南分城(みなみわけじょう)は、この地に勢力を持っていた佐久間彦五郎の居城といわれています。歴史城主の名前として残る佐久間彦五郎ですが、この人は川名北城と川名南城の歴史にも名前が残っているのですが、それ以外には謎の人物です。佐久間姓なので、この地に勢力を持っていた佐久間信盛の一族なのかもしれませんね。...

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