志賀城 | 信長の傅役だった平手政秀の居城屋敷跡




志賀城 | 信長の傅役だった平手政秀の居城屋敷跡

 

 

名古屋市北区の志賀城は、織田信長の傅役(もりやく:幼い世継ぎの後見人。現在でいう教育係)を務めた、平手政秀の屋敷があった場所です。

 

 

 

 

 

歴史

 

城館はかなりの豪邸だった様で、信秀の招きで尾張を訪れた公家・山科言継が驚いたという記録が残っているとか。

 

 

信長公記によると政秀は幼少の信長(吉法師)の教育係のほか、織田家の二番家老となり、天文十六年(1547)の信長初陣の際には信長の後見役として、信長の初陣の支度も手配しています。

 

 

また翌十七年(1548)には、争い中であった美濃の斎藤道三との和睦を成立。この時斉藤道三の娘である帰蝶(濃姫)を織田家に嫁がせることに成功しました。

 

 

そして三河の安城合戦の時は、安祥城の織田信広への援軍を率いたり、武将としての活躍もみせています。

 

 

 

 

 

感想

 

名古屋市北区の志賀公園のほぼ中央に、屋敷跡を伝える石碑がありました。

 

 

【尾州古城志】によると、平手政秀以前に中川因幡守清政という名前があり、西志賀城という別の名前も見られます。

 

 

現在、周辺は公園と住宅地になっており、残念ながらかつての遺構は残っていません。

 

 

現在建っている石碑は、平手政秀の忠誠を末永く伝える為に、古くは尾張藩有志から、現在は土地区画整理組合の人たちによって、今日に伝えられています。

 

 

私の感想ですが、記録には平手政秀の屋敷跡とありますが、当時、平手氏もこの周辺に勢力を持っていた豪族だったといわれていますので、堀と土塁に守られた館城みたいなものだったと思います。

 

 

・所在地  北区平手2丁目

 

・立地  平城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  ?

 

・主な城主  中川因幡守清政、平手政秀

 

・現状  志賀公園、住宅地

 

地図


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