西尾市吉良町の大通院は吉良氏の重臣で室城主だった富永氏の菩提寺




西尾市吉良町の大通院は吉良氏の重臣で室城主だった富永氏の菩提寺

 

 

西尾市吉良町の大通院は、東条吉良氏の重臣だった富永氏の菩提寺です。

 

 

 

 

 

大通院の住所

西尾市吉良町寺嶋御手洗38?1

 

 

大通院の地図

 

 

富永氏は東条吉良氏の重臣で室城主(西尾市)でしたが、特に有名なのは富永伴五郎忠元です。

 

 

吉良氏は足利一門で、現在の西三河南部に勢力を持っていましたが、永禄三年(1560)の桶狭間の戦い後、三河統一を目指す松平元康(後の徳川家康)と対立します。

 

 

圧迫されていた吉良氏でしたが、富永忠元の活躍により、攻めてきた深溝城主(幸田町)・松平好景を討つなど、かなり激しい抵抗を見せます。

 

 

でも最後は東条城付近の藤波畷の戦いで富永忠元は討たれ、その後吉良氏は滅亡してしまいます。

 

 

その富永氏の菩提寺が西尾市吉良町寺嶋御手洗にある大通院なのです。

 

 

 

 

 


お寺の中には稲荷社もあります。

 

 

これはもともと近くにあった小牧陣屋の鎮守のお稲荷さんで、創建された年代は分からないのですが、元文年間(1736〜39)にはすでに存在していたそうです。

 

 

大通院に移されたのは大正九年でした。

 

 

 

 

 


これが富永氏の墓所。

 

 

大通院は永禄四年に東条城が攻められた時、兵火に遭い全焼していますが後に再建されました。

 

 

私の感想ですが、もし忠元が家康に降るとか、何らかの形で生き延びたとすれば、歴史にもっと名前を残す戦国武将として知られたのではないかと思います。

 

 

その理由は、三河物語によると忠元が討たれた報せが広まると、松平軍も吉良軍も『伴五郎が討たれたら東条城の落城は近い』と言い合っていたと記録されているからです。

 

 

それだけ武勇の人だったのですね。

 

 

大通院は東条城や鎧ヶ淵古戦場(黄金堤)からも近いので、これらの城や史跡とセットで巡る事もできます。


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