藤島城 | 織田信長と共に岩崎丹羽氏を攻めた丹羽氏秀の居城
日進市藤島町にあったといわれる藤島城は、岩崎城の丹羽氏の分家である、丹羽氏秀の居城跡です。
歴史
尾張徇行記や尾張志では、藤島城主は丹羽右馬允(うまのじょう)と記載があります。
丹羽氏一族として、本家である岩崎丹羽氏に従っていましたが、天文十年(1541)頃から、氏秀の勢力が強くなります。
そして天文二十年(1551)両家の対立は遂に頂点に達し、当時尾張統一を進めていた織田信長をも巻き込んだ戦に発展します。これが横山の戦いです。
氏秀は清洲城の織田信長と共に岩崎城の丹羽氏清・氏識親子を攻めますが、信長が横山で氏清・氏識親子に敗れてしまいます。
合戦後、氏秀は三河広見城の中条秀正のもとに逃亡し、藤島城は岩崎丹羽氏の城となりました。
感想
藤島城の規模は東西約54m、南北約50m程で、東西の土居(土塁)の中に門があったそうです。
昭和四十四年(1969)の土地改良により、すべて遺構は取り去られ、見事なまでの田んぼと化しました。
現在、石碑の建っている場所が、かつての『東南隅高土居』らしいですが、全く分かりませんでした。
私の感想ですが、藤島城の事を調べている時、こういった人知れないお城に郷土史レベルの歴史の面白さがあると思いました。
なぜかというと、藤島城は遺構こそ残っていませんが、一般的に知られていない織田信長を巻き込んだ横山の戦いという合戦の歴史があるからです。
この横山の合戦は信長公記に記載はなく、勝利した丹羽氏側の記録として残っている合戦で、一般的にはあまり知られていませんよね。
今後もこの合戦はいろんな研究が進められて、詳細も分かって世に知られてくると思いますが、ひとつ言えるのはまだ知られていない戦国のエピソードがたくさんあるという事です。
また丹羽氏秀がどうして本家である岩崎丹羽氏と不仲になったのかもわかりませんが、下剋上も当たり前の戦国時代だったので、これにも深い訳があったと思います。
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