岩崎丹羽氏最初の居城となった吹上城と折戸城
日進市折戸町にあった吹上城と折戸城は、岩崎丹羽氏の最初の拠点となったお城です。
歴史
小牧長久手合戦の岩崎城籠城戦で戦国史に名を留める岩崎丹羽氏は、もともとは尾張国丹羽郡の豪族で、文明三年(1471)に現在の日進市折戸町にやってきてお城を築き居城としました。
これが吹上城です。
この吹上城を築いたのが丹羽氏従(うじより)という人で、文亀三年(1503)に氏従の子・氏員(うじかず)が、お城を西方200mの地に移し吹上城は廃城となります。
その後、氏員は文亀三年(1503)に本郷城を築いて移り、折戸城も廃城になりました。
しかし寛文村々覚書には、城主に矢野某という名前があるんです。
もしかすると本郷城に丹羽氏が移った後、家臣で矢野城主だった、矢野氏が城代みたいな形でお城を守っていたのかもしれませんね。
感想
まず最初に丹羽氏の拠点となった吹上城は、日進市折戸町寺脇の八幡社がある場所です。
神社は東側から見ると10mくらい高台になっており、境内には折戸古城址という石碑が建っており、石碑の裏側には簡単に吹上城と折戸城について説明がありました。
そして吹上城の西約200mのところに、移転先といわれる折戸城址がありました。
私の感想ですが、吹上城も折戸城も高低差を利用した平山城という印象ですね。
またこれは私の仮説ですが、吹上城と折戸城は別々の城ではなく、もしかするとひとつのお城だったのかもしれないと思っています。
つまり吹上城が手ぜまになり、拡張したのが折戸城という事です。
なぜかという理由ですが、2つのお城の距離があまりにも近すぎますし、パッと見、尾根続きの様にも見えるからです。
またかつて愛知県知立市在住の故・永田金一氏によると、『当時丹羽氏は家臣が増え、その屋敷確保の為と、より堅固に城を守るため折戸城を築いた可能性がある』とコメントされていました。
そしてもうひとつチェックしておきたいポイントは、吹上城の前を通る古街道は、岡崎方面に向かう街道なんです。
もし天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦時に、池田恒興が岩崎城を無視して岡崎に向かっていたなら、通っていたであろう道ですね。
吹上城は主に八幡社になっていますが、周辺を散策してみると高低差を防御に活かしたお城だった事がわかります。
ちなみに私の身長は1m50cmなので、吹上城のいろんな高低差がわかると思います。
↑そしてこちらが吹上城から西200mの場所にある折戸城の遠景です。
吹上城みたいに石碑はありませんが、折戸城も高台にあって周辺を見渡すことができるお城だったという事がわかりますね。
お城の前を通っている街道は、昔から三河路の裏道として存在する道です。
もし池田恒興らが、岩崎城を攻撃せずに岡崎へ向かっていたら、この道を通ったと考えられます。
今となってはそれもまた夢…しかしそういう所にロマンを感じますよね?!
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