日進市梅森台にあった2つの城跡!それが梅森北城と梅森東城
現在の日進市梅森台には、かつて2つのお城がありました。それが梅森北城と梅森東城です。
歴史
まず梅森北城ですが、天文二年(1533)に徳川家康と先祖を同じくする、三河碧海郡の松平三蔵高照が築城したと伝わります。
お城の規模は東西約43m、南北約58mほどだったそうです。
場所は現在の眺景寺境内で、現在は【梅森城址】と刻まれた石碑があります。
また寺誌と尾張志では、ここのほかに東の城があったとしています。
問題は東城
梅森東城については2つの説があります。
まず梅森東城の歴史についてですが、尾張志などによると梅森北城主・松平三蔵高照の家臣である、松平助右衛門信次が城主だったみたいです。
そして場所ですが、ひとつめの説は現在の宝珠寺周辺。
もうひとつの説は、眺景寺から北へ約750mの所にある、国立東名古屋病院の場所にあったという事です。
でも国立東名古屋病院の場所は、梅森北城から見て東ではなく北になるので、東城という訳ではないですね。
私の感想ですが、宝珠寺の方が目の前に天白川が流れ、お城を守る天然の堀に見えたりしますので、こちらの方が梅森東城では?と思ってしまいます。
ちなみに郡誌では、2城とも梅森町西後にあったとされています。
私が思うことは、マイナーなお城は資料の混乱がみられ、また詳細もよく分からないので、今後の研究課題でもあると思います。
その理由は梅森のお城も同じで、梅森北城は、ほぼ眺景寺だとして梅森東城はよく分かっていないからです。
でも今後、これらのお城について研究が進み、詳細が分かる日も来るかもしれませんね。
梅森東城のひとつめのの説は、宝珠寺周辺というものです。
南側に天白川が流れており、天然の堀に見えます。近年の開発で川幅も広くなったのかもしれませんが、当時から水の道、つまり川はあったのでしょう。
そして梅森東城のもうひとつの説が、国立東名古屋病院の場所。
しかしここは梅森北城のさらに北なので、方角が違いますね。
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