赤池城 | 城主の墓と位牌そして手植えの椎の木が龍淵寺に残る
日進市赤池町にあったといわれる赤池城は、この地を治めていた岩崎丹羽氏の一族である、丹羽秀信の居城です。
歴史
丹羽秀信は岩崎丹羽氏の一族といわれていますが、具体的にどんな事をした人物なのかは分かっていません。
唯一分かっているのは、天正元年(1573)に現在の日進市赤池町西組110にある、龍淵寺を建立したということだけです。そして秀信は龍淵寺を建立した翌年の天正二年(1574)に亡くなっています。
後を継いだ十郎右衛門、七右衛門ら息子たちも、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で岩崎城の応援に向かう途中に亡くなったといわれています。
感想
かつての赤池城は、国道153号線沿い、名古屋ハウジングセンター西側の日進変電所の南側にありました。
天正二年(1574)に信秀が没し、小牧長久手合戦の後に廃城となり、とりあえず土塁のみ残っていたみたいですが、昭和四十八年(1973)の土地改良によりことごとく整備されました。
その後昭和五十三年(1978)に、赤池城の事を後世に伝えるべく、石碑を建てたそうです。
現在では石碑が建つのみで、周辺も開発が進んでおり、お城の遺構らしきものは残っていませんが、城主の丹羽秀信を偲ぶのもは龍淵寺にあります。
赤池城址から南へ約600mの所にある龍淵寺に秀信のお墓と、秀信手植えの椎の木が残っています。
特に椎の木は以前は5本あったのですが、伊勢湾台風の被害で枯れてしまい、今では1本だけ残っています。
私の感想ですが、赤池城は郷土史レベルのお城巡りの楽しさを伝えてくれるお城だと思いました。
なぜかというと、赤池城自体、今では遺構もなく、石碑がたつのみですが、城主が建立した菩提寺である龍淵寺が残り、そこにお墓と椎の木が残っているので、龍淵寺でも丹羽秀信を偲ぶ事ができますね。
お城と菩提寺はセットで訪れるのも歴史の楽しさのひとつです。
日進市赤池町の龍淵寺には、赤池城主・丹羽秀信のお墓と手植えの椎の木(ツブラジイ)が残っています。
特に椎の木は樹齢400年以上経ち、ずっと赤池の地を見守ってきたのですね。
高さ14m、幹回り3・6m、(地上1m)の大きさで、表面がゴツゴツしていました。日進市教育委員会の看板も建っています。
赤池城跡から車で5分くらいなので、ここもセットで訪れることをオススメします。
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