狩宿城 | もしかすると林秀貞の父・林弥助の居城かも
愛知県尾張旭市にあったといわれる狩宿城は、当地の土豪・林弥助の居城といわれています。
歴史
狩宿城は寛政五年(1793)や天保十二年(1841)に作成された村絵図に古城跡として記載されている城跡です。
【尾張志】、【寛文村々覚書】という資料に、城主として林弥助という名前が見られますが、詳細がハッキリしていません。
尾張旭市教育委員会の現地案内看板によると、林弥助の子・信勝は織田信長の家老になったとあります。
これって、林秀貞(通勝)の事ですかね?
そうすると、林弥助は林秀貞の父であり、その居城が狩宿城という事になりますね。
ちなみに北名古屋市に林秀貞の居城・沖村城跡があり、この狩宿城との関係が気になります。
この辺はもう少し検証が必要ですが、非常に興味深い歴史でもありますね。
感想
狩宿城は、現在の尾張旭市にある狩宿第2ちびっこ広場周辺にあったといわれます。
広場の片隅に狩宿城に関する看板が建っているのみで、周辺にはお城の遺構などは残っていません。
私の感想ですが、この狩宿城の興味深いポイントは、林弥助の詳細もそうですが、もうひとつに場所的なものがあると思います。
その理由は、この狩宿城の近くに菱野城や井田城といった別のお城もあるからです。
この2つのお城は、戦国時代に林正俊という武将が城主になっており、狩宿城主も同じ林さんなので、もしかすると同じ一族なのかもしれません。
そう考えてみると、織田家家老として名を残す林秀貞の一族ゆかりの地は、瀬戸市や尾張旭市という事にもなりますね。
今後の研究が進み、詳細が明らかになる事を期待しましょう!
現地案内看板にある、天保十二年(1841)の狩宿村絵図。
よく見ると古城跡の記載があり、周辺は現在でも残る地名や寺社がチラホラあります。
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