奴野城 | 戦国時代以前に大橋定省が築いたお城
愛知県津島市の奴野(ぬのや)城は、戦国時代以前に大橋定省という武将がが築いたお城です。
歴史
津島市は、津島神社の門前町をして古くから発展してきた町です。
奴野城主・大橋氏の祖先である、九州の守護大名・肥後入道貞能が、源頼朝から永代退隠領として津島の地をもらい、文治年間(1185〜89)頃から代々、居住したそうです。
もともとは単純に住むだけの屋敷だったのですが、お城として築城(改修?)されたのが、鎌倉末期の元弘二年(1332)の頃。
この時の当主が大橋三河守定高(一説には息子の貞省とも)でした。
ところで奴野城の歴史的に分かっている事はこのくらいで、奴野城が戦国時代、江戸時代ににどうなったのか?というのが謎に包まれています。
感想
戦国時代以前の古い屋敷跡である奴野城。
『尾張志』と『津島町史』では、その跡は現在の西方寺境内と推測しています。
お寺の方に訊ねてみましたが、詳細は分からず、境内に残る大木が、お寺(お城)の歴史を物語っている様でした。
私の感想ですが、お城巡りの楽しさのひとつに、自分が知らない歴史を知るというのがあると思います。
具体的に言うと、戦国時代のお城はたくさんあるのですが、それ以前のお城は戦国時代のものに比べて少ないです。
また津島は戦国時代に織田家(信長の織田家)と友好的で、織田家の勢力拡大にも貢献してきました。
しかし戦国時代以前はどうだったのか?
その部分については詳しく知らないので、今後の研究課題のひとつにしておきますね。
ちなみにお城の奴野(ぬのや)という名前ですが、その昔、この辺りの地名が布屋といったので、それが転じて奴野になったそうです。
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