二間城 | 信長が長島攻めの時に陣を置いたといわれるお城
二間(ふたま にけん)城は、信長が長島攻めの時に陣を置いたといわれるお城です。
歴史
二間城は、この地の土豪のお城といわれています。
永禄から元亀年間(1570〜73)年間くらいに、お城があったという事は分かっていますが、城主、詳しい築城年、歴史、廃城時期などの詳細は分かっていません。
ではなぜここにお城があった事が分かるかというと、江戸時代の村絵図に、このお城の事が記載してあるからです。
また、愛知県中世城館跡調査報告では、二間城ではなく城の腰という名で記載されています
そしてこの二間城について、興味深い話も残っています。
それは織田軍による長島一向一揆攻めが何度か行われたのですが、その時、最後の長島攻めで信長が二間城に陣を置いたという事です。
地図を見てもらうとわかりやすいのですが、二間城があったとされる場所のすぐ西側が長島なので、陣所にも適していたのでしょうね。
感想
二間城は現在のイオンタウン弥富の西側にあったみたいです。
イオンタウン弥富の中にザ・ダイソーイオンタウン弥富店というのがありますが、そのすぐ西側が弥富市五明町二間城という住所になっています。
つまり字名が二間城なので、たぶんこの辺りでしょう。
ちなみにこの地は以前、ニッケ弥富ウ−ル工場があった場所で、現在はニッケゴルフ倶楽部弥富コースになっています。
今ではすっかり変わってしまいましたが、これもまた歴史ですね。
あとお隣の三重県桑名市長島町は、長島スパーランドや、なばなの里で有名な観光地ですが、戦国時代に一向宗が立て籠もった地域でもあります。
今ではひとつの大きな島になっていますが、戦国時代は小さな島がたくさんあって、一向宗はその地の利を活かして信長に抵抗していました。
長島一向一揆の史跡も今に残っていますので、近くまで来たらチェックしてみるのも良いですね。
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