北島城 | 平経貞が築城し国府宮神社の神官久田氏も居城したお城




北島城 | 平経貞が築城し国府宮神社の神官久田氏も居城したお城

 

 

愛知県稲沢市の北島城は平経貞が築城し国府宮神社の神官久田氏も居城したお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

北島城は文保年間(1317〜19)に平経貞が築城し居城しました。

 

 

この時、北島城の守護神としてお城の東北に弁財天を祭りましたが、これが現在に残る宗形神社です。

 

 

東北という方角から鬼門除けの神社だったのでしょうね。

 

 

さて、【尾張志】によると、室町時代には国府宮神社の神官である久田氏が居城しており、代々尾張守護の斯波氏に仕えました。

 

 

この時の城主の名に久田弥四郎崇政の名前が残っています。

 

 

その後の戦国時代には、織田信長の家臣の飯尾尚清の居城になりました。

 

 

この飯尾尚清は織田信長の一族で、桶狭間合戦の時に父・飯尾定宗と共に鷲津砦を守っていましたが、今川方の朝比奈泰能の猛攻を受け落城。

 

 

父・定宗は討死しましたが、尚清は逃げ延び、その後も信長に仕え各地を転戦しました。

 

 

伊勢国の長島一向一揆をはじめ、石山合戦、三木合戦などでは検視役を務めました。

 

 

信長亡き後は織田信雄、羽柴秀吉に仕え天正十九年(1591)に亡くなっています。

 

 

北島城がいつごろ廃城になったのかは不明です。

 

 

 

 

 

 

感想

 

かつての北島城は、稲沢市北島町字城一帯にありました。

 

 

現在、宗形社が祭ってありますが、これは北方城の築城当時、城主であった経貞が弁財天を祭ったもので、明治八年に宗形社と改称。

 

 

この宗形社には平経貞も守護神として祭られ、周辺の人に城の宮と呼ばれ親しまれているそうです。

 

 

ところで愛知の城 (山田柾之・マイタウン) によると、井戸跡が発掘されたそうですが、現在では残っていないそうです。

 

 

また遺構もありません。

 

 

私の感想ですが、北方城の注目する点は2つあると思います。

 

 

ひとつめは現在に残る字名。

 

 

宗形神社の南西に北方城があったワケですが、そこの字名が

 

 

そして周辺には家臣団の屋敷跡を想わせる、皿屋敷吉屋敷という地名があります。

 

 

またかつての城下町を想わせる市場前なども残っており、これらの地名だけでもお城跡としての証拠は十分ですね。

 

 

ふたつめは複数の城主が在城したという点。

 

 

平経定、久田弥四郎崇政、飯尾尚清と、城主が代わっても廃城になっておらず、新しい城主がいたという事は、この北方城がよほどの価値があったお城という事です。

 

 

その価値を考えてみた場合、真っ先に思い浮かぶのが街道を押さえていた交通の要所だったという点。

 

 

お城は交通の要所に築かれるのが基本なので、この北方城もなにかの街道を押さえていたと思いますが、この事は今後の研究課題です。

 

 

また周辺の村を治めやすかったとか、年貢である米がたくさん獲れたとか、メリットが多いお城だったので、時代が流れても有力者たちが居城し続けたのでしょう。

 

 

所在地  稲沢市北島町字城

 

立地  平城

 

築城時期?

 

築城者?

 

主な城主 平経貞、久田弥四郎崇政、飯尾尚清

 

現状  宗形社・民家・工場

 

地図


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