安城市




安城市記事一覧

安城市の詳細不明のお城跡まとめ

かつての三河国である、安城市の詳細不明のお城跡をまとめてみました!柿崎村古屋敷山田八蔵の屋敷と伝わる柿碕村古屋敷。山田八蔵は家康に仕え、天正三年(1575)に大賀弥四郎が武田氏に通じている事を訴え、五百石の加増を得ています。また、渥美弥三郎と喧嘩して討たれたとの事が【三河国二葉松】に書かれています。...

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織田信長の兄・信広が今川方に捕縛された安城市の安祥城跡

愛知県安城市の安祥城は、戦国時代に尾張の織田氏と三河の松平氏、そしてそれを支援する駿河の今川氏によって、攻防が繰り広げられたお城です。歴史安祥城は松平氏の居城として有名なお城ですが、築城者は松平氏ではなく、松平氏以前の和田遠江守という説があります。そんな安祥城ですが、文明三年(1472)松平氏の始祖...

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福釜城 | 徳川家康を支えた親盛を祖とする松平氏一族のお城

愛知県安城市の福釜城は、徳川将軍家の親戚である福釜松平氏の居城です。※福釜の読みは ふかま歴史松平宗家の五代、長親の子・親盛が築城したお城で、福釜松平を称したのが始まりです。初代・親盛は松平清康(徳川家康の祖父)に従い、享禄三年(1530)東三河の宇利城(現・新城市)を攻めましたが、討死してしまいま...

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高木城 | 徳川十六神将の一人・高木清秀の屋敷跡

愛知県安城市の高木城跡は、徳川十六神将の一人に数えられている家康の家臣・高木清秀の屋敷跡です。歴史室町時代に高木宣光がこの地に移り住んだ事が始まりで、清秀はこの地で生まれたといわれていますが、緒川城の水野信元に仕えました。三河一向一揆の際にも、水野軍として松平に味方して戦功を重ね、先祖からの土地を安...

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保科城 | 甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷

愛知県安城市の保科城は、甲斐の武田氏に仕えていた信州高遠城主・保科正直の屋敷址です。保科正直邸とも。歴史甲斐の武田氏に仕えていた正直は、武田氏の滅亡後、北条氏に帰属。しかし天正十二年(1584)頃に徳川氏に付きましたこれを裏切りとみた北条氏は激怒し、正直が人質として送っていた妻子は北条氏のもとで最後...

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山崎城 | 松平清康の弟で広忠と戦う事になった松平信孝の居城

愛知県安城市の山崎城跡は、松平清康の弟で後に広忠と戦う事になった松平信孝の居城跡です。歴史三河を束ねていた兄・清康が天文四年(1535)のに尾張守山城で最後を迎えると、三河は大混乱に陥りました。清康が亡くなったことを好機と見た桜井松平の当主・松平信定が宗家を差し置いて岡崎城に入ろうとしましたが、松平...

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安城古城 | 安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡

愛知県安城市の安城古城は、後に安祥城を築いたといわれる和田氏の館跡です。歴史平安時代、この地には志貴荘(しきのしょう)という、荘園があったといわれ、鎌倉時代には地頭の館が置かれ、安藤氏が居館としました。ちなみに館時代の主として、多門氏、酒井氏の名前もあります。室町時代になると、和田氏・五代の本拠地と...

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安城市の丈山苑は城跡でした。それが石川丈山屋敷跡です

愛知県安城市の石川丈山屋敷は、石川丈山の館があった場所といわれています。歴史漢学者・隷書の第一人者として名高い『石川丈山』の屋敷跡です。丈山は幼名を『嘉右衛門』といい、天正十一年(1583)この地で産まれました。石川家はもともと武士で徳川家に仕えており、丈山も各地を転戦して名をあげました。しかし大阪...

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東端城 | 長久手合戦で池田恒興を討った永井直勝の居城

愛知県安城市の東端城は、長久手合戦で池田恒興を討った永井直勝の居城跡です。歴史東端城の築城は天正八年(1580)で、大浜(碧南市)の長田尚勝によるものといわれています。天正十二年(1584)、尚勝の弟・永井伝八朗直勝が小牧長久手合戦において、秀吉方の武将・池田恒興を討ち、恩賞として東端城を与えられま...

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桜井城 | 松平信定を祖とする桜井松平家の居城

愛知県安城市の桜井城は、松平信定を祖とする桜井松平氏発祥の地であり、桜井松平家の居城跡です。歴史この地はもともと小浦喜平治忠重が地頭として屋敷を構えていましたが、松平親忠の安祥城進出の時より、松平氏がこの地も治める事となりました。天文四年(1535)の【守山崩れ】で松平本家の清康が亡くなると、当時の...

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城郭寺院は本證寺だけじゃない!安城市に残る誓願寺と内藤氏の姫小川城跡

愛知県安城市の姫小川城跡は、この地の戦国武将・内藤氏の居城跡で、隣接する誓願寺は内藤氏の菩提寺です。歴史まず姫小川城の歴史ですが、内藤清長が築城し、家長・信成(松平広忠の子で清長の養子)らが居城しました。内藤親子は徳川家康に従い、三河一向一揆や遠州(現・静岡県)での二俣城攻めや一言坂の合戦等で戦功が...

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安城市小川町に残る石川氏の小川志茂城跡と小川的場丘城跡

愛知県安城市小川町には、石川氏ゆかりのお城跡が2つあります。それが小川志茂城跡と小川的場丘城跡です。小川志茂城の歴史と感想まず小川志茂城(小川城)は、戦国時代、この地の土豪だった石川氏の居城跡です。一説によると石川氏は、下野国から石川政康が蓮如上人についてきて、この地に小川城と蓮泉寺を築いたとの事で...

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伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地と伝わる安城市の岩根城跡

安城市の岩根城跡は、賤ヶ岳七本槍のひとりで、後に伊予松山城を築いた加藤嘉明の生誕地と伝わる場所です。歴史鎌倉時代半ばに築かれたお城との事で、築城者は関東から移住してきた加藤掃部助正成と伝わります。加藤氏は代々、足利氏・吉良氏に使え、そして松平氏が安祥城へ入ると松平氏に仕えました。ちなみに賤ヶ岳七本槍...

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三河一向一揆の拠点のひとつ安城市野寺の本證寺

安城市の本證寺は、三河一向一揆の拠点のひとつとなったお寺です。城郭寺院として良好な遺構も残っています。※本證寺の読みは ほんしょうじ歴史鎌倉時代末期の創建と伝わる本證寺は、上宮寺、勝鬘寺(岡崎市)とともに、三河一向一揆の拠点となった お寺です。なぜ三河一向一揆が起こったのか、ことの発端は桶狭間合戦後...

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安城市木戸町に残る2つのお城跡!それが木戸村古城と木戸城

愛知県安城市木戸町には、木戸村古城と木戸城という2つのお城跡があります。この記事ではその木戸村古城と木戸城をチェックしてみたいと思います。木戸村古城室町中期の石川式部・石川太郎五郎の居館跡です。文明三年(1471)の松平氏による安城進出まで、この地にあったとの事です。木戸村古城の場所は、木戸城の北で...

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藤井城 | 松平長親の五男・利長を祖とする藤井松平氏の発祥の地で居城跡

愛知県安城市の藤井城は、松平長親の五男・利長を祖とする藤井松平氏の発祥の地で、その居城跡でもあります。歴史文明三年(1471)安祥城進出を果たした松平氏は、福釜・桜井・と周辺に勢力を拡大していきました。そんな中、永正年間(1504〜21)には藤井にも進出、その時築かれたお城です。城主は松平家五代・長...

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安城陣屋 | 元禄年間に置かれた旗本・久永信豊の陣屋跡

愛知県安城市の安城陣屋は、元禄年間に置かれた旗本・久永信豊の陣屋跡です。歴史元禄十一年(1698)、に置かれた旗本・久永信豊の陣屋跡です。久永氏は碧海郡安城村、米津村、加茂郡加納村で合計四千三百五十四石の知行を受けることになり、ここに陣屋を置きました。久永氏は明治四年(1871)の廃藩置県までこの地...

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根崎陣屋 | 大河内松平氏の陣屋で永井直勝の妻・百合姫の祠がある陣屋

愛知県安城市の根崎陣屋跡は、江戸時代の大河内松平氏の陣屋で永井直勝の妻・百合姫の祠がある場所です。歴史慶安四年(1651)、根崎村が東端村から独立した時に築かれた陣屋です。当時の領主は松平正綱という人で、島原の乱で活躍した知恵伊豆こと、松平信綱の養父です。正綱は小牧陣屋(現・吉良町)を本拠として幡豆...

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