明知城 | この地の土豪だった原田氏の居城跡




明知城 | この地の土豪だった原田氏の居城跡

 

 

愛知県みよし市の明知(みょうち)城は、この地の土豪だった原田氏の居城跡です。

 

 

※明知の読みは みょうち

 

 

 

 

 

歴史

 

愛知県中世城館跡調査報告2三河地区によると、明知城の城主は、この地に勢力を持っていた原田氏と伝わります。築城は原田親種という人物で、種次、重種と続きます。

 

 

この原田氏、もともとは九州の大名・大友氏に仕えていましたが、流浪して三河へ辿り着き、松平清康(徳川家康のおじいさん)に仕えました。

 

 

その後原田氏は代々徳川氏に仕え、小田原攻め、長久手合戦、関ヶ原合戦でも戦功を立てました。

 

 

ところで明知城の城主に関して、もうひとつ興味深い歴史があります。

 

 

同じみよし市にある裕福寺の看板には、嘉暦(かりゃく)三年(1328)、当時の太政大臣・久我通雄の二男である達智上人が諸国巡業した時の事。

 

 

この時、裕福時にも立ち寄ったのですが、その時に明知城主・小野田長安と傍示本城主の帰依を受け、大伽藍を立てたとあります。

 

 

この小野田長安という人物は、原田氏以前の城主だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

感想

 

明知城は現在大字明知字下屋敷の個人宅となっています。屋敷周辺を水路が取り巻いており、かつての堀の跡を想わせます。

 

 

愛知県中世城館跡調査報告2三河地区では、明治時代の地籍図から50m四方の丸みを帯びた地割りと、これを取り囲む細い地割がりが読み取れるとし、在地土豪クラスの居館ではないかと指摘しています。

 

 

私の感想ですが、明知城は遺構は残っていないのですが、城主がどんな人だったのかという事に興味があります。

 

 

その理由は、裕福寺に大伽藍を建立できる財力があった訳で、この地の権力者だったのでしょうね。

 

 

しかし別の原田氏が城主として歴史に名前を残しているので、小野田氏と原田氏がどの様にして入れ替わったのか、そういった郷土史にも興味があります。

 

 

所在地  三好町大字明知字下屋敷

 

立地  平城

 

築城時期?

 

築城者  原田氏

 

主な城主  原田氏

 

現状  水田・宅地


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