松平清康の弟で浅井西城主だった松平康孝の墓が残る西尾市の源空院




松平清康の弟で浅井西城主だった松平康孝の墓が残る西尾市の源空院

 

 

枝垂桜で有名な愛知県西尾市西浅井町にある源空院は、松平康孝の菩提寺です。

 

 

 

 

 

源空院の住所

西尾市西浅井町札木33

 

 

源空院の地図

 

 

松平康孝は清康の弟で、浅井西城(西尾市)と三木城(岡崎市)の城主でもありました。

 

 

武勇に優れていた人物で、天文五年(1536)に織田信秀が約8千の兵で三河に攻めてきた時、松平方の大将として織田軍を迎え撃つなど、武功を残しています。

 

 

また徳川家康の父・松平広忠が幼くして家督を継いだ際、康孝は兄の信孝と共に後見人として広忠を支えてもいます。

 

 

私の感想ですが、徳川家康の父・広忠や祖父の清康は歴史的にも有名な人物ですが、それを支えた一族の武将たちも興味深いものがあると思います。

 

 

その理由は、歴史を調べていると、今まで知らなかった武将の事が文献や記録に出てくるからです。

 

 

これらの武将はあまり記録に残っていない事も多いのですが、家康(元康)、広忠、清康といった歴史上の人物を調べる時、影で重要な役割を果たしていることが多いのです。

 

 

 

 

 


西尾市の源空院は枝垂桜が有名なお寺で、西尾市の観光名所のひとつですが、それと同時に松平康孝の菩提寺でもあります。

 

 

お寺の中には康孝の墓も残るので、お城巡りの際に参拝するのも良いですね。


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