大脇城 | 刈谷城の水野氏の家臣・梶川五左衛門文勝の居城
愛知県豊明市栄町の大脇城は、刈谷城の水野氏の家臣・梶川五左衛門文勝の居城です。
歴史
築城年、築城者はよくわかっていませんが、愛知県埋蔵文化センターによる発掘調査での出土品から、天正四年(1576)には、お城が存在しており、刈谷城の水野忠重の家臣・梶川五左衛門文勝が居城していたといわれています。
ちなみに現地案内看板には、梶川五左衛門秀盛とありますが、文勝と同一人物なのかもしれません。
永禄三年(1560)の桶狭間合戦では、織田方に付き、今川方の松平軍と戦っています。
その後、五左衛門文勝は、小牧長久手の戦いで活躍し、朝鮮出兵で亡くなったといわれています。
感想
大脇城は豊明市栄町にありました。
お城の場所は国道23号線の下になっており、発掘調査が行われた時に堀や井戸の遺構のほか、大量の土器が出土したそうです。
私の感想ですが、大脇城は湿地帯に囲まれた平城だったと思います。
なぜかというと、周辺は現在でも平地で水田が広がっており、この水田がかつての湿地帯だったのではないかと思われるからです。
あと気になるのは桶狭間合戦での役割です。
桶狭間合戦時、大脇城主は織田方に付いたといわれていますが、この場所は今川軍にとっては、沓掛城と桶狭間合戦を結ぶルートにあるという事。
軍事上、今川軍は大脇城をなんとかしないと、安心して進軍できないので、大脇城が織田方に付いたとなると、今川義元の桶狭間進軍ルートも気になりますね。
ともあれ謎が多い大脇城ですが、現在では豊明市教育委員会の案内看板が建つのみで、お城の遺構は残っていません。
また城主の名前である梶川と聞くと、一宮市奥城の梶川高盛を思い出しますが、あの梶川さんとは、直接関係がない梶川さんです。
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