大野城 | 大坂の陣で活躍した大野修理亮治長ゆかりのお城
愛知県一宮市にある大野城は、大坂の陣で活躍した大野治長の一族ゆかりの城といわれています。
歴史
【葉栗郡紀要】によると、大野伊賀守・大野佐渡守の居住との記録が残ります。
城主の大野氏は、もともと京都の石清水八幡宮の神官といいます。
大野伊賀守治定が弟の家督争いに敗れ、美濃に滞在していた時に織田信長に召し出され、葉栗郡大野村に土地を与えられ築城したのが大野城の始まりだと伝わります。
その後、治定に息子が生まれ定長と名乗り、定長の息子が元和元年に大坂城落城の際に豊臣秀頼に殉じた、大野治長なのです。
もっとも治長は大野城主ではなく、大野城を継いだのは治定の三男・大野才兵衛治久で、治長から見ると叔父にあたる人でした。
治久は慶長五年(1600)、関ヶ原合戦の前哨戦である岐阜城攻めで東軍として参陣し、一柳直盛の兵を案内して岐阜場攻めに加わっています。
ちなみにこの大野城は天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦でも、羽柴軍の砦として利用されています。
感想
かつての大野城は現在、木曽川河川敷公園となっており、公園の片隅に大野城を示す石碑があります。
この周辺は公園として整備され、お城時代の遺構らしきものは残っていませんでした。
私の感想ですが、大野城のすぐ北は木曽川、そのまた北は美濃国(岐阜県)があり、この事から大野城は国境のお城だったことがわかります。
現在では、桜の名所と知られている大野城ですが、かつてはどんなお城だったのでしょうね。
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