下奈良城 | 小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつ
愛知県一宮市の下奈良城は、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦で羽柴方の最前線になったお城のひとつです。
歴史
天正十二年(1584)年に起こった小牧長久手合戦時、羽柴秀吉が大坂から約30,000の軍勢を率いて楽田城に本陣を置いた時、この下奈良城を最右翼として小牧山城の織田・徳川連合軍と対峙しました。
合戦はいくつかの小競り合い、そして現在の長久手市一帯で起きた長久手合戦と続きますが、後に織田・徳川連合軍との講和が成立し、下奈良城は廃城になります。
この時、下奈良城の諸道具は河田城に移され、兵糧・薪炭は長島に移されました。
感想
かつての下奈良城跡は、民家や畑となり、現在は一宮市観光協会春明町内会による石碑と看板が建っています。
それによると、江戸時代にはすでに下奈良城跡は畑地になっていたみたいです。
また周辺の民家にお城の石垣の一部といわれるものが残っています。
石碑と看板が建つ近くの民家には、下奈良城の石垣の石を見る事ができます。
丸石で、川からとれた石なのでしょう。
下奈良城が【砦】ではなく城として歴史に残る理由について次の話が残っています。
もともとこの地には、織田信雄の家臣・山本小三郎という人物が守っていたお城がありました。
羽柴軍が進撃してきたことを知ると、とても敵わないと覚悟して、一族もろとも戦わずして最後を迎えたそうです。
この事から、羽柴軍が戦のために【砦】を築いたのではなく、羽柴軍がもともとあった【城】を落として、合戦に利用したみたいです。
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