刈谷城は戦国時代の水野氏の居城で江戸時代には刈谷藩の拠点となったお城




刈谷城は戦国時代の水野氏の居城で江戸時代には刈谷藩の拠点となったお城

 

 

刈谷市の刈谷城は、戦国時代の水野氏の三河地方における居城で江戸時代には刈谷藩の拠点となったお城です。

 

 

 

 

 

歴史

 

近世の地誌類には、刈谷城は天文二年(1533)に水野氏が築いたとされています。

 

 

天文十年(1541)、城主の水野忠政は岡崎の松平氏と同盟を結び、娘の於大を松平広忠に嫁がせていましたが、二年後に忠政は死去。

 

 

その後を継いだのが水野信元です。

 

 

しかしこの信元、今までの方針の180度転換を決意。松平氏とは手を切り、松平氏の敵・尾張の織田氏と同盟を結びました。

 

 

これにより、於大の方は離別。水野氏の元に返されます。

 

 

於大の方はこの後、坂部城(阿久比町)の久松氏と再婚します。

 

 

さて、その後の刈谷城は水野氏の居城となりますが、天正三年(1575)、佐久間信盛が水野氏が武田氏と内通とのことを信長に讒言、これを信じた信長により、信元は自害させられます。

 

 

その後、刈谷城は佐久間氏のものとなりましたが、天正八年(1580には、この佐久間氏も織田家を追放され、水野信元の無実が明らかになり、信元の末弟・水野忠重に刈谷城は返されました。

 

 

関ヶ原合戦後、水野氏の後に深溝松平氏・久松氏・稲垣氏・阿部氏・本多氏・三浦氏・と城主は代わり、最後は土井氏が九代百二十年にわたって城主を務め、幕末を迎えました。

 

 

 

 

 

感想

 

かつては戦乱の舞台となり、めまぐるしく城主が代わった刈谷城ですが、現在は『亀城公園』として市民の憩いの場となっています。

 

 

さてそんな刈谷城ですが、公園周辺にも江戸時代のお城の遺構である、門や郭跡が確認され、公園内も日本庭園風に整備されたりで、ゆったりできる空間となっています。

 

 

車で訪れた際は、西に流れる川の向こうに緒川城もありますので、セットで訪れると良いかもしれません。

 

 

 

 

 


これは江戸時代の刈谷城の古地図。上が西になっています。かつての刈谷城はこんな感じです。

 

 

尾張と三河の境である境川を背後に、東に向けて城下町がありました。

 

 

 

 

 

現在は公園になっています

 


刈谷城はかつての本丸が整備され亀城(きじょう)公園となっています。

 

 

公園内には堀跡を利用した池、土塁などが残っています。現在、公園整備が再計画され、発掘調査も進んでいます。

 

 

 

 

 


かつて三層の櫓があった場所に建つ十朋亭 (じっぽうてい)。

 

 

大正五年に大野介蔵という人が、氏族会員の会合場所として作ったのが始まり。現在の建物は昭和四十七年に改修。

 

 

現在は休憩所や集会場として市民に開放されています。

 

 

 

 

 

公園の外も城内

 


公園の外もかつての刈谷城内です。現在では主に住宅地になっていますが、門跡や曲輪跡など石碑、看板が建っています。

 

 

 

 

 


公園の東側にある郷土資料館は、かつての三の丸でした。少し高台になっています。

 

 

 

 

 

 


城下町には徳川家康の生母・於大(おだい)の方が、岡崎城から戻った時に生活していた椎の木屋敷跡もあります。

 

 

所在地  刈谷市城町1丁目

 

立地  平城

 

築城時期 天文二年(1553)

 

築城者 水野忠政

 

主な城主 水野氏,佐久間氏,深溝松平氏,久松氏,稲垣氏,阿部氏,本多氏,三浦氏,土井氏

 

現状 亀城公園、住宅地

 

地図


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