会下城 | 三河一向一揆に参加した矢田作十郎のお城
かつての三河国である、刈谷市の会下(えげ)城跡は、三河一向一揆に参加した矢田作十郎のお城跡です。
※会下の読みは えげ
歴史
会下城の城主は矢田作十郎助吉という武将だった事が分かっています。
彼は松平元康(後の徳川家康)に仕えていましたが、永禄七年(1564)の三河一向一揆では本多正信や夏目吉信と共に一揆勢に参加します。
そして小豆坂で討ち死にしたそうですが、この事以外、記録に残っていません。またお城の歴史や詳細も分かっていません。
感想
かつての会下城は、現在の刈谷市泉田町絵下城一帯にあったといわれています。
今では住宅地となり、お城の遺構や面影は全く残っていませんが、地名で会下城を偲ぶ事はできます。
国道23号線バイパスを名古屋方面に走り、刈谷市の富士松ICで降りてまっすぐ進むと、城前という信号がありますが、これが会下城の前という意味の字名から来ているのでしょう。
また近くには市場屋敷、伊勢蔵というお城関連の字名も残っています。
私の感想ですが、お城跡の遺構や歴史は分からなくとも、こうして地名が残っているのは、地元の人達の想い入れがあるからだと思いました。
歴史は勝者の記録である部分が大きいです。
この事から城主の矢田助吉は三河一向一揆で亡くなっているので、詳細がよくわかっていないというのも残念ですね。
あと気になる話が地元に残っています。それが会下城のお宝伝説です。
会下城は現在、住宅地となっていますが、開発途中、地中から中国銭や金のカンザシなどが出土したと伝わります。もしかすると地中にはまだまだお宝やもしかすると埋蔵金などが眠っているのかもしれませんね。
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