清洲城 | 織田信長、信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉が居城したお城
愛知県清須市(旧清洲町)の清洲城は、織田信長、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉が城主になったお城です。
歴史
織田信長の尾張での拠点として有名な清洲城ですが、築城したのは、織田氏ではなく、応永十二年(1405)室町幕府の尾張守護職・斯波義重です。
後に斯波氏よりも家臣の織田氏の勢力が強くなり、とうとう主家である斯波氏を圧倒。ここから尾張の織田氏の時代が始まります。
信長が家督を継ぎ、尾張の下四郡の支配者としてこのお城に入城したのは弘治元年(1555)、四年後の永禄二年(1559)には、上四郡を支配していた岩倉城の岩倉織田氏を滅ぼし、ほぼ尾張統一を成し遂げました。
その後、永禄三年(1560)の桶狭間の合戦も清洲城から出陣しています。
美濃攻略が本格的になってきた永禄六年(1562)頃に小牧山城を築いて移りましたが、その後の城主は、息子の信雄、悲劇の関白・豊臣秀次、猛将・福島正則、 関ヶ原での戦功ピカイチ、家康の息子・松平忠吉、と有名武将ばかり。
忠吉の死後、尾張初代藩主の徳川義直が入城しましたが、平城でお世辞にも堅固とは言えず、洪水も心配だったので、名古屋城を築き移りました。
これが有名な清洲越しです。
首都機能が名古屋に移った後の清洲は荒れ果て、江戸時代の絵図を見ると、すでに田畑ばかりの土地になってしまいました。
平成になり、天守が再建されました。
ちなみに名古屋城の西北隅櫓は、清洲城の天守を移築、もしくは天守の廃材の一部を使用したものといわれ、清洲櫓の通称があります。
感想
かつての清洲城跡は、JR線、新幹線などに分断され、公園もこれらの線路や五条川によって分けられてしまいましたが、戦国ファンやお城愛好家は、必ずチェックしておきたいお城のひとつです。
遺構はあまり残っていないものの、夏でも散策しやすく整備され、無料休憩所もあるので、非常に訪れやすいお城です。
近年では市民参加による武将隊の皆さんによる、おもてなしなどもあります。
清洲城の天守台跡。
戦国時代の天守は、現在の場所ではなく、五条川の反対にありました。
清洲は平地が続いていますが、この天守台の場所だけ高くなっています。
天守台には信長を祀る祠と、信長を顕彰する石碑が建っています。
散策に疲れたり、どう周るか作戦会議をする時などは、無料休憩所を使いましょう。
清洲ふるさとのやかたにはトイレも完備されており、無料のお茶のほか、清洲の特産品などお土産も販売しています。
また観光パンフレットや観光情報のポスターなどもあり、情報収集もできるので、ここもチェックしておきたいポイントのひとつです。
清洲城の再現された石垣。
石垣の断面を見ると、石垣の構造がよく分かります。
正門をくぐって左手にあるのが清州城の黒書院。
ここも休憩所になっているほか、入城料を払い天守に登った人には、無料で甲冑の試着体験ができます。
天守には清洲城の歴史のほか、武将や合戦にまつわる展示があります。
有料施設ですが、やはりここもチェックしておきたいポイントですね。
【休館日】 月曜日・年末(12月29日〜31日) ※月曜日が祝日・振替休日の場合は、翌日が休館日
【開館時間】 午前9:30〜午後4:30
【入場料】 大人300円(250円) 小人(小・中学生)150円(100円)
( )内は団体料金
天守内には、発掘調査で出てきたものや、甲冑、ジオラマ、パネル展などがあります。
分かりやすく解説してあるので、じっくり見え周ると所要時間は30分以上は必要だと思います。
最上階は展望台になっており、周辺をぐるっと見渡すことができます。
清須市と周辺は濃尾平野で平地が続いていますので、天気が良い日は名古屋駅の方まで見渡すことができそうです。
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