前田城 | 前田家発祥の地といわれる地にあったお城




前田城 | 前田家発祥の地といわれる地にあったお城

 

 

名古屋市中川区の前田城は加賀百万石の祖といわれる前田利家の前田家発祥の地といわれるお城です。

 

 

また前田利家もこのお城で生まれたという説があります。

 

 

 

 

 

歴史

 

前田氏はこの前田城を拠点に蟹江、荒子、一色、東越の地を治めていたとされ、速念寺によると利家もこの前田城で生まれて7歳の時に荒子城に移ったとしています。

 

 

もしそうなら利家の父・利昌の居城という事でもありますね。

 

 

さて、そんな前田城ですが、天文十三年(1554)に荒子城が築かれたので一旦廃城になったともいわれていますが、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いの時に前田興十郎種定が秀吉方に付いたため、織田・徳川連合軍に攻められ落城したとも伝わります。

 

 

 

 

 

感想

 


かつての前田城は現在、前田速念寺というお寺になっています。

 

 

門を潜ると利家愛用の鯰尾兜風の建物が出迎えてくれます。

 

 

前田城もお城としての遺構はこれといって残っていませんでしたが、前田家関連の石碑が数個ありました。

 

 

あと中川区全域のお城跡にも言える事ですが、この前田城も平地で新川、庄内川という2つの大きな川に挟まれています。

 

 

戦国時代と現在の地形は違うと思いますが、大きな川は天然の堀としての防御や物資の運搬に活用できたりしますが、一旦洪水になるとお城も流される危険があったんでしょうね。

 

 

ところで利家の生誕について2つの説があり、ひとつはこの前田城で生まれて荒子城で育ったという説。

 

 

もうひとつは荒子城で生まれ育ったという説です。

 

 

現在でも議論されている利家の生誕説ですが、あなたはどう思いますか?

 

 

 

 

 

 

前田城,前田家発祥の地

入り口の門を潜ると現れる建物。これが速念寺の本堂です。

 

 

よく見ると利家愛用の『鯰尾』の兜にも見えますね。

 

 

 

 

 


境内に残る最後の城主・前田興十郎のお墓

 

 

・所在地  中川区前田西町1丁目

 

・立地  平城

 

・築城時期  ?

 

・築城者  ?

 

・主な城主  前田氏

 

・現状  前田速念寺

 

地図


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