熱田村砦 | 源平合戦の頃の砦
名古屋市熱田区の熱田村砦跡は、戦国時代のはるか以前、養和元年(1181)頃に源行家(新宮十郎)が築いたとされる砦跡。もしくは城跡ということで、『熱田城』の別名が残ります。
歴史
治承・寿永の乱の初期である養和元年(1181)、源行家は平重衡に美濃墨俣(みの すのまた:現在の岐阜県墨俣町)で敗れ、平家の進軍を防ぐためにこの砦を築いたといわれています。
しかし行家はこの地でも敗れ、さらに東の三河国矢作川(現在の愛知県岡崎市)でも敗北しています。
感想
熱田村砦があった場所は諸説があり、そのひとつが現在の熱田区沢上2丁目付近。
現地には砦時代の遺構らしいものはありませんが、気になるポイントが2つありました。
ひとつは東側がガクンと下がっていること。つまり東から見れば高台にあるということです。神明社あたりがなだらかに一番高そうな場所でした。
もうひとつは沢上2丁目の南側に外土居(そとどい)町という地名があること。
土居 ⇒ (土塁)を意味しますので、もしかすると熱田村砦の外側の土塁があった場所という意味から来た地名なら、この外土居町というのも頷けますね。
↑気になる地名・外土居町。もしかすると熱田砦の外側の土塁から来た地名かもしれません。
しかしメインの沢上2丁目よりも外土居町の方が思いっきり広いんですけど。
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