本郷城 | 折戸城から移った丹羽氏が拠点としたお城
日進市の本郷城跡は、折戸城から移った丹羽氏が拠点としたお城です。
歴史
折戸城主・丹羽氏員(うじかず)が、折戸城から城を移した場所がこの地です。築城は文亀三年(1503)頃で、周辺を土塁が取り巻いていたそうです。
規模は東西約37m、南北約38mほどと伝わります。
丹羽氏は本郷城に氏員、氏興、氏清と3代・36年間在城した後、氏清の代の天文七年(1538)に本郷城から北へ約600の地にある岩崎城に移りました。
その後、本郷城は丹羽氏清の弟・左馬允(さまのじょう)が何年か在城しましたが、いつの間にか廃城となったみたいです。
感想
本郷城は、岩崎城より南へ約600mの県道57号線の西側、現在NTTDokomoの中継所の鉄塔あたりにあったみたいで、現在小川、畑、田んぼになっています。
寛文覚書、張州府志、尾州古城志の資料には、丹羽勘六の居城となっています。
しかしこの勘六について、古城研究家の笹山忠氏は、『丹羽氏清の弟・左馬允には勘六の別称はなく、この勘六がだれなのかはっきりしない』としています。
また岩崎城は江戸時代通して、ほぼ手つかずで遺構が残っていたのに対し、本郷城は寛文年間(1661〜72)頃には、すでに農地になっていたみたいです。
現状を見ても、お城時代の遺構はこれといって残ってなく、平城の印象だけが残るお城でした。
ところで私の感想ですが、丹羽氏の3つのお城である、折戸城、本郷城、岩崎城を見比べてみると、丹羽氏の拠点としての想いを察することができると思います。
どういう事なのか説明しますね。
以下は私の仮説ですが、丹羽氏がまず拠点にした折戸城は山間の地で、米を収穫できる田んぼが少なく、丹羽氏は平地を求めて、かなり離れていた本郷城を築いて移りました。
しかし本郷城は平地で田んぼや城下町を作りやすかったのですが、平地ゆえに大雨の度にお城も水没しかけたこともあったのでしょう。
そこで目と鼻の先にある小山に岩崎城を築いて洪水対策をしたのでは?と思います。
ポイントは折戸城から本郷城の距離は、直線で約2・5kmも離れているのに対し、本郷城から岩崎城まではたった600mです。
たぶん街道やら平地やら、この地が丹羽氏にとって、折戸城より都合が良かったのでしょう。
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