五丁堀砦 | 前野義康が守った小牧長久手合戦の砦
愛知県江南市の五丁堀砦跡は、小牧長久手合戦時の砦跡といわれています。
歴史
天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦時に織田・徳川連合軍の砦のひとつとして、前野義康が300の手勢で守ったといわれる砦です。
五丁(545m)の掘割があったのでこの名前が付いたそうですが、その堀がどのようになっていたのかは不明。
※1丁=109mで換算
この砦を巡る合戦の記録はなく、廃城のタイミングも合戦後だと思いますが、資料、記録も少ない砦です。
感想
五丁堀砦跡は江南市前野字松堀町の畑地の一角にありました。
この周辺は土地改良事業で五丁堀砦の小字名が抹消されてしまったので、歴史が失われる事を残念に思った江南市の郷土史研究会の会員の手で石碑が建立されました。
石碑以外に砦を知る遺構は残されていませんが、私の感想として気になるのは、五丁堀砦があったといわれる場所と前野義康の300人の手勢。
というのも西に約750mのところに、同じく小牧長久手合戦で使用された蜂須賀氏の宮後城があります。
五丁堀砦は織田・徳川連合軍の砦で、宮後城は羽柴方の砦です。
つまりお互い目の前すぐのところに敵がいるわけですよね?
そう考えてみると五丁堀砦は前線の砦になるわけで、それにしては前野義康の手勢300というのは少なすぎるのでは?という疑問も残りました。
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